梅のおにぎり
千波 一也


あなたの握るおにぎりは
いつも大きくて
中身はおおよそ梅で
わたしが出かけるときには
「お金を使わず済むように」って
たかだか100円程度のことなのに
保温のバッグに
詰めこんで
漬け物なんかも添えて
おしぼりも
入れたりして


ねえ、母さん
わたしは何度か
「食べたことにして捨ててしまおう」とか
「人目を避けて食べなきゃな」とか
思ったりしたんだよ
知らないよね
知る必要がないよね
知らずにいて、



ねえ、母さん
あの日もわたしに
おにぎりを持たせてくれたよね
「仕事を辞める」って言い張って
自分で勝手に
面接の日取りを決めて
車で半日もかかる遠い街まで
勢いばかりで
飛び出そうとしたあの日、
あなたは
わたしを説き伏せようとして
考え直させようとして
(いま思えば懸命な判断だけど
それでも
わたしは出て行ったから
母さん、追いかけてきたよね
反対してたくせに
早起きして
用意していた
おにぎりを
わたしに
持たせようとして
追いかけてきたよね
もちろん、
わたしは
素直に受け取らないから
「勝手にしなさい」って
助手席に
強引に置いて

怒っていたけど
母さん、
わたしの車が
見えなくなるまで
見ていてくれたよね
ミラーに映ってたよ
自分のしようとしていることに
自信が持てないから、
はっきり見える
あなたの姿を
見ていたんだよ
角を
曲がってからは
ものすごく寂しくなったけど
それはたぶん
あなたも同じことだったよね

街は
遠いけれど
遠いことよりも
大きな峠があって
冬はもちろんのこと
夏でも危険な峠があって
峠の手前で
ちょうど
お腹が空いたから
パーキングに停まったんだ
長距離トラックが混み合う
広い広いパーキングの
片隅に
停まったんだ

ねえ、母さん
おにぎりは
いつもどおり
大きかったね、あの日も
ハンドルを
ぎゅっと握りしめてばかりで
外の景色を眺めもしないで
話し相手なんか
当然いないし
長いあいだ
閉じていた
わたしの口にはね
大きかったんだ
おにぎりは
でも、
硬くなってた口をこじ開けて
ひとくち
ほおばったらね
とっても
美味しかった

「ありがとう」って
かすれた声で
つぶやいた

つぶやいて
うつむいた



仕事を辞めたかったのは
ひとに疲れていたからで
辞めてしまえば
変われると思った
変わってしまえば
うまく
逃げられると思ってた
(いま思えば
(都合の良すぎる考え方だね
(あんなにも弱かったんだね
そんなわたしが
面接に
うまく応じられるわけもなく
ひどく赤面して
「すみません」って
退室したよ
自分勝手に
とつぜんに
退室して、
そのあとは
戻らなかった
戻れなかった

なんにも
大したことなど
していないのに
お腹が空いたわたしは
コンビニに立ち寄って
梅のおにぎりを
手に取った

店員さんが
「あたためますか」って
聞いてきたけど、
わたしは
とっても
疲れていたんだね
ひとに
話しかけられるのが
あまりにつらくて
それでも
精いっぱい
「けっこうです」って答えたけど
それはあまりに小さい声だったから
「あたためますか」って
もういちど聞かれて
もう、
わけがわからなくなって
気がついたら
わたし、
車に戻ってた
店員さんに
なにか
失礼な態度を取ったかもしれないけど
謝ることなんか
出来そうになくて
何も
買わずに
何も買えずに
コンビニから去った



ねえ、母さん
今年もまた夏がきたね
すっかり
立ち直ったはずのわたしは
ときどき
あの日を
思い出すけど
思い出してしまうけど
忘れてはいけないような
気がしているよ

だからね、母さん
相変わらずの大きさの
おにぎりに
わたしも
変わらず
ブツブツ言うけど
ブツブツ言うのはね
あなたのまもりが
頑丈だから、だよ

わたしもすっかり
いい歳だけど
頑丈な
まもりに
安心すればこそ
ブツブツ言うんだよ
言えるんだよ

あの日
ながした涙のことは
言わないけどね
ずっと
大切に
わたしが
まもるけどね

だからね、母さん
わたしの親で
ありがとね

いかしてくれて
ありがとね

ああ、
いい風だね
夏だね、母さん





















自由詩 梅のおにぎり Copyright 千波 一也 2012-08-09 23:31:15
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