まえのばちゃん
salco

おさむとかなめの家の後ろには
同じ造りの平家があって
銀髪をひっつめた細い老婆が住んでいた
地味なワンピースにいつも前かけをして
家作の花をかわいがり
ピンクと一対の青いスイートピーを息子と呼ぶ
不思議な心のおばあさんは何故か
通りに対して後ろなのに
「まえの(お)ばちゃん」と呼ばれていた
女の子達はそっちへ流れた
狭い庭は花々が咲き乱れ
木蓮の大きな肉厚の花を拾えるのも嬉しく
乳白の女王様に恭しく見入ったものだ

おさむとかなめが引っ越してほどなく
まえのばちゃんの家が埋まっていた
もともと道より低い所で
前の更地が盛土で路面の高さにされ
家の上半分しか見えなくなったのが
玄関も掃出し窓も縁側も
一面の泥で塞がれていた
生き埋めされたように見え
人が住んでいようとは思われない
身寄りのないあの老婆がどうしたのか
窓を確保したのはずっと後のことだ
開かずの玄関はそのままだった

あのお母さんの返礼だと思った
仔犬の保健所行きを不憫がり
元宝塚に仲介したのがまえのばちゃんだった
隣の家を埋めてしまうなんて
こんな仕打ちが許されるのかと
ちらとしか見た事がないあの母親を
狂っていると思った
今思えば
田んぼを潰して貸家にした地主が
価値を上げようと土を入れたついで
立ち退かない未亡人に嫌がらせしたのだろう
示談や裁判なんて縁遠かった時代だ

原状復帰された後も
通りから見る限り
更地の向こうに花々の色はなく
ひょろ長い裸木だけが立っていた
女の子達はもう行かない
もう小学生ではないから
たまに見かけるまえのばちゃんも
どこか険しい虚ろな目をして
私達には気づきもしない風だった
いつしかその家も取り壊され
同じ高さに整地されると
木蓮の樹も消えた
二軒分の敷地は広々した二階建てになり
私はまえのばちゃんを忘れた


自由詩 まえのばちゃん Copyright salco 2012-08-06 00:00:12
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