『子ども達』
永乃ゆち


毎晩3人の『子ども達』と一緒に寝る。

名前は

『ライオン丸』

『ライ次郎』

『うさこ』。

9年前にとある雑貨店、いや、『産婦人科』で

発見、いや、『出産』した。

それぞれの誕生日がある。

ライオン丸は2月9日。そのせいか無類の肉好き。

一番好きな肉は

『松阪牛のステーキ』。

でも食べたことはない。

ライ次郎は4月5日。

「死後の世界」ともじったら泣いて抗議した。

うさこは11月8日。

特に語呂合わせはない。

自称『女帝』のうさこは『うさこ帝国』の繁栄の為

日夜兄達の教育に余念がない。

それでもライオン丸は相変わらずのぐうたらへたれぶりで

貢献度は低い。

ライ次郎は何かあるとすぐに呪うから、うさこもたじたじ。

この3人の子ども達を抱きかかえ

エアコンの設定温度を低くして省エネに貢献しつつ

暑い暑いと言って寝るのがいつもの風景。

隣で寝息を立てる人に、そっと3人を渡すと

無意識の内でもしっかりと抱きかかえ

苦しそうな顔をしながらも目を覚ます事なく朝を迎えてくれる。

これが幸せという事なんだな、と思う。



わたしは心を病んでいて、もう十年以上も薬を大量に飲み続けているため

子どもは産めない。それを気遣ってか、この隣で寝る人は

「子どもはいらないよ」

と言ってくれる。

これも幸せという事なんだな、と思う。



けれどわたしは、この人を裏切っている。

わたしの心はもうずっと前から他の人のものだ。

片思いではあるけれど。

隣で寝る人は、それでも良いと言ってくれる。

けれどきっと傷付いている。

わたしは『幸せ』の上に胡坐をかき

『優しさ』につけ込んでいる。

生きているだけで、誰かを傷付けているのなら

いっそ命を捨ててしまおうとしたが、失敗に終わった。

『生きてるだけで良い』

そんな事本当にあるのだろうか。



わたしの片想いが成就することなない。

それでも棄てきれずにいる事に何の理由も見い出せないまま

わたしは今夜も『子ども達』を抱えて眠る。

隣で寝る人の愛の証であるところの『子ども達』を。



ごめんなさい。

小さく呟くと

別に。

と、小さく返ってきた。


生きる事を許されているわたしは

恋の辛さも

背徳の自責も

全部背負って一生を終えようと思う。


天寿を全うする事だけが

恩返しのような気がする。


この人にも、あの人にも。


『子ども達』は何も言わない。

今夜も、ただのほほんとした顔をして

わたしの腕に抱かれている。







自由詩 『子ども達』 Copyright 永乃ゆち 2012-08-04 22:29:48
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