イレギュラー・バット・トゥルー
ホロウ・シカエルボク
おまえの脳味噌のいたるところに悠然と生えた牙を見たか?その牙はおまえがこれまでに築きあげたささやかな概念を欠片も余すところなく喰らいつくしその概念の骨組だけを残して霧散するだろう、おまえの脳髄を過去というミストがゆっくりと通過するとき、おまえはそれが生きる理由であることを知るだろう、ひとを生かすものは未来ではない、心身のいたるところに浸透した無数の過去だ、その絡みついた浮遊霊のようなものをある種の思いの成就によって振り払わんとすること、それがひとの人生の正体だ、あのとき、とひとはうたう、それだけですべてが聞いている誰かに伝わるとでもいうように、そのひとことだけで個々の世界はすっかり出来あがってしまうのだと言うように、そしてそれは実際にそうなのだ、だからこそそんな言葉がひとくちでは言えないほどの理由を持ってあらゆる場所に浸透してしまう、いつだってひとは考えているはずだ、あのとき、と、あのときああすれば、こうしておけば、などと、過去の失態を何度も反芻しているだろう、そしてそのときがもう一度おとずれることがあっても、それはほぼ絶対にあのときと同じ結果を呼び寄せるだろう、そうしてあのときばかりが積み上げられてゆくのだ、生きた時間を三倍は超えるだろう「あのとき」で出来た地層からは、ひとを落ち込ませる部屋の壁紙のような色ばかりが見えるだろう、それをおまえも見ているのだ、疲労をゆっくりと消費してゆく時間のなかで、噛み合わぬものが噛み合うものの家たちさえも変えてしまうそんな時間のなかで、ぼんやりと、睡魔に奪われそうなまぶたと格闘しながら、だけどそれを見ないでいることは許されない、おそらくこの世に存在するほとんどの人間には、それを見ずに過ごすことなど許されていない、なぜならそのなかにこそ人生の本質があるからだ、消そうとしても消せない足跡みたいなものだ、それは脳髄にこびりついている、だからときどき脳味噌に牙が生まれ、かたまり過ぎたものを喰らい尽くしてしまうのだ、システムリカバリのようなものさ、おまえの脳味噌のいたるところに悠然と生えた牙を見たか?それがささやかな概念を容赦なく齧るときの、その音を聞いたことがあるか?霧散していく、ひとときおまえであったもの、少し愚かしいほどに出来あがってしまったおまえであったもの、それが、浄化された霊のように霧散する感覚が判るか?そいつを認識して理解するのにはちょっとした自分への裏切りが必要になる、チャンネルをきちんと変えることが出来るかどうかということにそれは似ている、階層を入れ替えるのだ、おまえという人間の意識体の、階層を入れ替えて意味合いを少し違ったものにしてみればいいのだ、アンテナを錆びつかせてはならない、アンテナを錆びつかせてはならないぜ、発信したいのなら受信することこそがもっとも重要な要素になる、チャンネルを理解すること、チャンネルを切り替えること、それが牙が生まれる理由だ、それがおまえを混乱させるものの奥底にある理由だ、受信したものは変換されなければならない、それはいつか必ず送信されるだろうおまえ自身の、種になるものだ、変換の仕方を間違えたらそこですべてが駄目になってしまう、慎重にやりなよ、答えを持っていない人間の方が正解に辿り着きやすいってもんだぜ、おまえは何も知らない、おまえは何も知らない、知るために生まれてきたからだ、知っていると言ったとたんに理由は壊れてしまうぜ、理由は定義されてはならない、理由は何も定義されてはならない、強く吠えることしか能がない馬鹿な犬になりたくなければ、なにも知らないことを肝に銘じておかなければ駄目だぜ、ほら見ろ!ちょっとあたりを見回すだけで、たくさん目につくだろう、なにかしら自分が真実を手にしていると思い込んでいる愚かしいやつらが、やつらのやっていることがどういうことか判るか?ルービック・キューブの一色だけを仕上げて「出来た」って言ってるようなもんなのさ、そういうやつらが何人かでつるめばそれで「社会」というものが出来あがる、一見そこには絶対的な力があるように見える、だけど実際のところそのなかにたいしたものなんかはありはしない、なぜならそれが何人の集まりになろうが、その共同体は絶対に、ルービック・キューブを一面しか仕上げることが出来ないからなんだ、おおっと、ルービック・キューブってのはものの例えだぜ、勘違いしちゃ駄目だ、おれだってあんなもの二面ぐらいしか作れない、だいたいああいう種類の頭の使い方は苦手なんだ、だけど馬鹿な犬には見えないだろう?要するにそういうことさ、ああいう連中は出来あがった面の裏の色味について話すことがスノップだと思ってやがるんだ、あとの四面はどうなんだ?って話さ、すべてを見て、すべてを語らなければ駄目だ、ひとりの人間だって多面体なんだ、それを確固たるアイデンティティみたいに見せようなんて阿呆のすることさ、おれは不確定要素だ、そして今日もあらゆるものについて話そうとしているのさ…