怪談 をんなふくら萩之変
salco

耳鳴りのような白日が暮れ
まだしも今夜は
築地渡りの湿った風が吹く
朝からの汗で油染んだような
背中の生地のこわばりが不愉快で
ストッキングは梅雨明けから
本当はスカートも履きたくない

早く帰ってシャワーを浴びたく
クーラーの下、素肌に化粧水を叩きたく
交差点を渡って右に折れ
ビルの間の一通路を左に曲がり
リストランテのある路地へ入った
その途端
左のふくらはぎに何か
まとわりつくような違和感を覚え

蚊か蛾が来たかと身をよじって平手で払い
歩き出せばまだ感じる
振り向いて膝を曲げても蛾も蚊もおらず
かゆくもないので歩き出す
何か、長い髪の一本か
蜘蛛の巣でも絡みついているような
シフォンの小切れが触れて来るような
そんな感じがしてならない

頃は享和元年、水無月晦日
宵の口から手間賃を使い果たして
佳い心もち
ぽつり兆した雨もものかは
右手に潮の香
左手に木箱を担いでふらふらと
やって来たのは大工の助兵衛
折も折
湯屋を出て来た姉さんかむりの柳腰
風呂敷抱えた風情も艶な、絞りの浴衣に
湿りのお腰(腰巻)
里の丸山むっちりと、上へ下への足運び
洗い上げた足首ちらちら、締まりは上々
踵もやわな桃いろに
ぐいと出ちゃった、鎌首ならぬ喉から手
くちびるを舐め舐め二歩三歩詰め
行きがけの駄賃に谷あい分けみれば

知り初めたちょっかいと恥じ
たしなめ一分の流し目振り向けて
酔眼の下衆にはっとすくんだその拍子
解けた結えの手拭いはらり
湯中りののぼせも凍った、これが丸髷(人妻)
ぬか袋も手放しのべっぴんまでは好かったが
お栄の亭主が男すけべえ運の月
袴は質流れにて無沙汰の着流し
出待ちの横合で懐手を抜くが早いか
脇差の鍔をかちりと進み出でた畑中源志郎
お殿様の改易で干され果ててもさぶらふの
気位、気慨で糊する浪人
雪ぐ家内の一大事「無礼者ッ」

ばっさり背に袈裟懸けられて
と、と、と、と傾いで勧進帳ばり飛び六方
先にのめった道具の箱が埒をあけ
がらがらと墨つぼ、鉋ぶちまけて
ひと足遅れのいかずち一閃、ひっくり返す大盥
土砂降りの空を掴んでいきんだところへ
返しの一刀
仕掛け花火の勢いで飛んだ右腕ジャッポンと
堀にはまって麩を足し波の鯉にも食われず
斬り捨て斃死の親方の
冥土の旅に供しそびれて、大よそ当年
二百ととお

そこは手だけに恨めしやとも覚えぬが
仰天の五指にみなぎる置いてけ堀の手癖に迷い
夏の夜な夜な出るそうな
鬼のつらよりいかめしい舗装が熱吐く
地づらをふわふわ
さわらぬ上に何とやら
おそれ多いは桜でんぶの高望みとばかり
後ろから遠慮しいしい、道行く女人の
足こぶ撫でる
とくの昔に銭湯もきれいさっぱりイタめし界隈
江戸は京橋、首都高速の下あたり
おさわり助兵衛かいない話
おあとがよろしいようで


自由詩 怪談 をんなふくら萩之変 Copyright salco 2012-07-28 23:43:54
notebook Home 戻る