詩について
Ohatu


 最近、

 なにやら「詩」というものが、世界的にはもっと
 尊いものだと認識されている、と感じる。
 日本だけが、「詩」を、
 小説のようにまとまった文章が書けず、
 音楽のようなきちんとした基礎を持たず、
 絵画のように感覚と技能を融合させるほどの境地にない、
 普通の人の、「入口」として扱っている。

 詩は、言葉ではない。
 
 感覚的に美しいとか、ただ言いたいとか、
 アイロニーとか、コメディではない。

 魂の模写であり、自己と社会の解剖である。

 と、(ここにはこないような)普通の人たちは、思っている気がする。

 10年前、僕は確かに見ることができた。
 
 それは「生まれるよりほかしかたがない」と言える物だった。

 「自分でしかできないこと」を模索する、たくさんのできそこない。

 詩であるにははるか及ばないが、その胎動、すなわち、生身を抉り取ったような
 肉のにおい、息の乱れ、または、筋のこわばり。

 最近は、そういう物を見ない。

 まるで、「詩」では無い何かへ、集団で疎開してしまったかのようだ。

 うまい、下手の話ではない、念のため。

 


散文(批評随筆小説等) 詩について Copyright Ohatu 2012-07-23 13:29:39
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