詩について
Ohatu
最近、
なにやら「詩」というものが、世界的にはもっと
尊いものだと認識されている、と感じる。
日本だけが、「詩」を、
小説のようにまとまった文章が書けず、
音楽のようなきちんとした基礎を持たず、
絵画のように感覚と技能を融合させるほどの境地にない、
普通の人の、「入口」として扱っている。
詩は、言葉ではない。
感覚的に美しいとか、ただ言いたいとか、
アイロニーとか、コメディではない。
魂の模写であり、自己と社会の解剖である。
と、(ここにはこないような)普通の人たちは、思っている気がする。
10年前、僕は確かに見ることができた。
それは「生まれるよりほかしかたがない」と言える物だった。
「自分でしかできないこと」を模索する、たくさんのできそこない。
詩であるにははるか及ばないが、その胎動、すなわち、生身を抉り取ったような
肉のにおい、息の乱れ、または、筋のこわばり。
最近は、そういう物を見ない。
まるで、「詩」では無い何かへ、集団で疎開してしまったかのようだ。
うまい、下手の話ではない、念のため。