柔和とは何か、積極的な見方をするのにどのように役立つのか。
生田 稔

柔和とは何か、積極的な見方をするのにどのように役立つのか。
 
私達は神の怒りの日が来る前にエホバ神を知ったのですから,是非とも引き続き神を求めるべきです。それにはどうすべきでしょうか。それは聖書に明らかに指し示されています。ゼパニヤ2の3には、このようにしなさいと神は記録しておられます。そのゼパニヤ2の3を読んでみましょう。 [ 3 地の柔和な者たち,[神]の司法上の定めを守り行なってきたすべての者たちよ,エホバを求めよ。義を求め,柔和を求めよ。恐らくあなた方はエホバの怒りの日に隠されるであろう]

 この聖句の後半には、神に保護していただける3つの必要条件が述べられています。?は、エホバを求めることです。これは神の地上の組織と交わり神との温かい個人関係をはぐくみ、み言葉を注意深く研究し黙想しその助言を生活にあてはめることです。
 次には「義を求めることです」。義を求めることは容易ではないことです。私達は性の不道徳、嘘をつくこと、罪をなんとも思わない人々に囲まれています。こうした世に打ち勝つためには義を追い求めなければならないのです。
 三つ目は今夜の主題と関連している点として、エホバの怒りの日に隠されることを望むなら「柔和を求めなければなりません」。私たちは毎日のように柔和でない人々と接してゆかねばなりません。そういう人々は要求が多く、利己的で、自説にこだわります。自分の権利や好みを何としても通さなければならないと思っています。その影響を受け入れるならば、本当に残念です。神に従順であり、懲らしめを謙虚に受け入れ、ご意思に合わせます。そして柔和であるためには積極的に行動しなければなりません。イエスは「終わりまで耐え忍ぶ人は救われる人です」と言われました。ですから神の目に正しいことを積極的に行います。
 この点で良い模範はヨシュア王です。彼は16歳ぐらいからエホバを求め始めました。
彼はどうしたでしょうか歴代第二34章3.4節を見ましょう。[ そして,その統治の第八年に,彼はまだ少年であったが,その父祖ダビデの神を求め始めた。第十二年には高き所,聖木,彫像,鋳物の像からユダとエルサレムを清め始めた。4 さらに,人々はバアルの祭壇を彼の前で取り壊した。その上にあった香台を彼はそれらから切り倒した。聖木,彫像,鋳物の像は打ち砕いて粉々にし,これらのものに犠牲をささげていた者たちの埋葬所の表に[これ]を振り掛けた。]
このように、彼は非常に熱心に31年間もエホバ神の教えに携わりました。しかし残念ながらヨシュア王が死ぬと、人々はまた以前の悪い状態に戻ってしまい、エホバ神が布告しておられた通り、西暦前607年にバビロニア帝国によって滅ぼされました。でも預言者のエレミヤ、エベド・メレク、ヨナダブの子孫レカブ人など神に忠実な人々は、エホバの怒りの日に隠されたのです。
 今や終わりの日は間近く迫っているようです。私たちはゼパニア2章3節の最後にあるように、み怒りの日に隠されて神の王国に入れるよう、積極的にそして柔和に神を求め続けましょう。


散文(批評随筆小説等) 柔和とは何か、積極的な見方をするのにどのように役立つのか。 Copyright 生田 稔 2012-07-19 16:14:02
notebook Home