日本人は、観光客
番田 


最近は、音楽の授業にスマップの曲が出ていたりすると言うから驚きだ。近々、ミスチルやサザンの曲も教科書に載ったりするのかもしれない。だけど、そんなことは長くは続かないだろう。すべての歌には目的というものがあるからだ。例えばクラスで歌うなら、バンドの曲は全く合わないし、アイドルもしかりである。ではどういった曲が必要なのかというと、クラシック的なアプローチのされた曲である。曲名についてはよく知らない。色々な国の国家もそうではないだろうか。例えば、イギリスの国歌を様々な国のクラシック音楽家がカバーしている。


カラオケボックスから出てきた僕は頭の中に、ある真実を抱えていた。それは、洋楽はカラオケには向いていないというとても寂しい真実だった。確かにビートルズやオアシスを数ある邦楽の中から入れてみたところで、歌っていても楽しいと感じたことは全くなかった。昔、塾の中に洋楽しか歌わないという女の子がいたが、ただヘタクソを隠したいだけだったのだろう。とにかく、洋楽はカラオケには全然向かないのだ。だけど、洋楽と邦楽を分かつものとは一体何なのだろう。しかし洋楽がカラオケには向かないと言うのなら、いったいどのようにして向こうでは歌謡曲が人々に浸透しているものなのだろうか。実際私はアメリカやヨーロッパに旅行した経験があるが、はっきり言って街中では音楽など全く耳にしなかった。それらを聴くには、クラブや酒場にわざわざ出かけなければならないのである。たぶん、演奏している人は多いのだけれど、そういったものを聴いている人自体があまりいないのかも知れなかった。私も滞在中は全くipodを使わなかった。そんなものより人々の会話や、電車の進む音や、クラクションの音に耳を傾けている方が、そこでは全く利口なような気がしてきたのだ。



実際向こうで生活していても面白いと思えることはあまりないのかもしれない。面白そうなのは、美術館ぐらいである。道には観光客相手の店が立ち並び、物乞いやスリが隅で目を光らせている。それに、日本での生活のようにイベントやら何やらで落ち着かない気持ちにさせられる事もないのだろう。休日でさえ何かをするようにし向けられた毎日など無いのである。特に、今の時期は日も長く、乾いた風が部屋には吹き抜けていることだろう。そんな生活の中では、ストレスを感じると言うこと自体が日本のようにはないのかもしれない。


自由詩 日本人は、観光客 Copyright 番田  2012-07-16 01:38:24
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