原発に関して個人の考え。
プル式
個人的には、買い替えの難しい自動車と同じ感じ。年式が古くなればそれだけトラブルは起きやすくなるし、多ければ排気ガスみたいに公害になりうる。反面、きっちりメンテナンスなどをして適度に使用するなら、経済や生活に利便性をもたらす。ただし、どれだけメンテナンスしても、突発的に人の命に関わる事故になりうる。そうして一度使い始めたら、それの無い生活はなかなか面倒だ。
しかし、駐禁でトラックが自転車になった様に、自転車が見直されはじめ少しずつその方向の転換が起こっている。もちろん100%はでは無いが、自動車自体も様々に形態をかえている。電気で走ったり、排気ガスの出ない仕組みになりつつある。
では、電気はどうだろうか。電気も原発だけでなく、風力、火力、水力、の見直しが進み、それ以外の発電システムの模索も同様に始まっている。随分前から新エネルギーに対する研究はされていたが、地震以降大きく注目を集める様になった。
例えは悪いと思うが、戦後の状況に似ている。物資不足、インフラの崩壊の中で、手探りを続けている姿が。進まなければならないという状況は、技術を躍進させ、様々な方法を生み出して行く。僕は、ここが、戦後と大きく違うところだと考える。事故以降、停止点検を行っていた原発も、徐々に動き出そうとしている。動き出せば、電気的な貧困に喘ぐ事が無い。そうしてその手段を手にしている。何も無い時代ではない。しかし、だからこそ、段階的にでも、危険をはらむ物を置き換えて行くタイミングなのでは無いだろうか。暴力的思考かも知れないが、停止期限をもうけ予算をくみ、その技術に拍車をかけるべきではないだろうか。戦後の経済成長の様に、新しい時代の技術大国になるチャンスなのでは無いだろうか。
一時的な観点で脱原発を掲げる事もできる。しかし、ただそれだけでは、暴力と変わらない。電気が必要な人も必ずいる。そこを切り捨てるなら、今すぐエアコンをとめて電化製品を省エネの物に交換し、蓄電器と自家発電を買いに行く(もしくは昼間や夜のエアコンをやめる事を回りの人々と共に押し広げる)べきだ。状況は少数では動かない。嫌な言い方だけど、新しい一歩を進む為には、それなりの覚悟を持たち、どこに向かうかを決めなければならない。
個人的には、経済のダメージがあろうと、原発をとめる事を決めて、それを補う技術を躍進させるべきだと思う。国家政策としてそれを挙げるなら、僕は増税にも節電にも反対はしない。ぼくは怖いものが嫌いだが、貧乏にはなれている。だからそう思うのかも知れない。