サウンドトラック
ねことら






毎日はどこまでも続く微熱のテンション。きのうのじぶんを殺しながらめざめた。散文の日々。ネジを閉める穴が空いていた。見せびらかすように、太陽で暖まる前のコンクリの上を急いだ。


獰猛な、敬虔な、怠惰なコーラス。いつもきこえる。横断歩道を飛び出せ!校舎の四階から突っ込め!なまじキスやセックスでみずに薄めようとするから。みんなチューインガム噛んで腐敗臭のように教室に漂わせてる。


アキラはいう。ヤりたいやつとヤったもん勝ちって。そうだ、鼻つまみの生ゴミ掃除、涙ちょちょぎれるボランティア精神、ここは総天然色のガラクタの楽園!


アキラはぼくにしかみえない。白黒反転のパンダ、つまりはみんなのシャドウだ。ひらひらとカンフーのポーズを取りながら。アキラは片っ端から気に入らないことを見つけだして、武装解除させた。勉強や毎朝の礼拝、24時間テレビや健康器具、そういったゴマカシだ。


寿命。寿命なんてハタチでおわればいいのに。どんどん体は臭くなるばっかり。「ジョーシキがあればさっさと頭をゴミ箱につっこんじゃうことさ。で、ケツからまた犯しちゃう。究極のセルフサービスってわけ。おれは環境にやさしーから」ケケケ、それはアキラの弁。


コウくんコウくん、こんど映画いこう、あのゾンビでてきてにんげんもでてきてにんげんをつぎつぎ襲ってさいごにマシンガンでやっつける映画。映画、映画、映画ならいいでしょ、わたしたちはそのあとドトールで仲良くおしゃべりするの、あの演技ひどかったねーとか俺なら黒髪の方とヤってそのまま逃げるなーとか馬鹿なカップルをうまく演じてみせるの、いいでしょ、夜のヘッドライト、すこしずつ延びてふたりを捕まえにきて、湿った夏の夜はまだ少し肌寒いままでいて、わたしたちはさびしいから、深い水のそこのコインのようにしずかによりそいあって、触れたい、触れたい、キスをしたい、いつも無理とか打算とか曖昧に淡くなって濃くなって、そしていつかは消えるようにさよならするの、それがわたしたちだから、ねえ映画ならいいでしょ、映画なら、ねえ、コウくんコウくん、


よくわからないことが好きな時代を通過して、ぼくらピンクの樹状突起をゆらしてる。ひどいアンテナだね。屋上はからっぽで、ぼくらの怠惰を代弁してるみたい。紙パックの飲むヨーグルトをきみの顔にぶちまけてエロいなとかってケラケラわらってすぐに死んだようにむなしくなる。


金があってもセックスしても笑っても泣いても単純に日々が回ってく。そうした日々の焼却が目の前でかげろうのように揺れている。つかんでもつかんでも全部灰になる。まだこっち側に立ってないだけだって。ヒヒヒ、これもアキラの弁。


カウントダウンははじまって。秒数は決まってて。わかってる。いつか振り返り振り返りゾンビみたいに生きてく。生きてても死んでてもかわらないから生きてく。いつかいまの日々をおもいだす。だいたい忘れて、不意にいやな感覚と一緒におもいだす。ぼくらはおもいだす。みんなこめかみにピストルはうちつけたまま、弾いたらきっと100万個の雨の音でせかいにあふれる。それはせかいでいっとう美しく、しずかな祈りの音としてあふれる。


そんな日々を。











自由詩 サウンドトラック Copyright ねことら 2012-06-30 22:35:25
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