朝露に濡れたような肌艶に程遠く
komasen333

生き方が違えば肌艶も違うよ
生き方が変われば目つきも変わるよ
それとも
肌艶が違うから、生き方も違うの?
目つきが変わるから、生き方も変わるの?
卵が先か、鶏が後か・・・
みたいな話になってきちゃいそうだけど
どちらにしたって 
連動してるってことだろう
どちらにしたって 
影響していくってことだろう

自分で自分に裏切られながら 
自分で自分に失望させられながら
ありあまるような無限を 
切羽詰った有限へと 
引き摺り降ろしてはオロオロ
足掻くだけ足掻いたならまだしも 
メロディーにもたれがちで
リリックは投げ出しがちで
挙句の果てに
「ボクの人生じゃないよ」と傍観者気取る
どんなに涼しげに応じても
どんなにスマートに否定しても 
紛れもなく「ボクの人生」だっていうのにね

夜の吐息 
忘れられるはずのない幾多の甘いト書
朝靄の飛沫
針先さえも緩急と戯れていたような
延々のため息
途切れることなど決してないんだろう
永遠の息吹
それでも麗しい何かや誰かは次々と

いいかい、世界  
今、ここで誓ってみせるよ
改めて言うことでもないけど
言っておかないことには 
三日坊主まっしぐらだからさ
言っておいたところで 
三日坊主にならないとは限らないけど
自分に、周囲に
「本気」だっていう
プレッシャーをかける意味合いでも
最後の最後のその時まで この才気を
最後の最後のその時まで 焦がすことを
最低でも
このインプットに
見合うアウトプットを残すことを

「ずっと側にいるよ」
「ずっと守っていくよ」
使い古されてるのを承知で 
正面からその目を見据えて
一字一句偽りもなく 
絶妙な距離感から 
毎日のように捧げていた
無垢な残酷さにはもう戻れないけど
僕なりに一歩一歩
僕なりに一瞬一瞬
かっこつけても
どうしようもないことばかりだから
まだまだ
かっこつけたい病は完治していないけれど
イチイチ上がったり落ちたりしていても
人様の心配や
エールの賞味期限なんて知れてるからさ

「すばらしい」とか「美しい」とか
「くだらない」とか「醜い」とか
世界は
一時だけをさらっとなぞって
賞賛したり罵倒したがちなものだけれど
本当にすばらしいかどうかは
本当にくだらないかどうかは 
自分で分析して
自分で評価して
自分で省察して
自分で反映して
いくことでしか見えてこない

なんてめんどくさい構造なんでしょう 
なんてかったるい共同なんでしょう
だからこそ
「すばらしい」や「美しい」が
崇高であり続けるんだろうけれど

割り切れるたくましさには程遠くて 
諦観にも近い沈着には中々馴染めなくて
憤り、戸惑い、憂い、虚無
そのまま入力から出力へ
だだ漏れするようなあり様だけれど
続けていれば
何かいいことも多々あるだろう
同じ分だけ多々悪いこともあるだろう

不器用を理由に 逃げるくらいならば
不器用を口実に 開き直って活かして 
生きたいな 
生きていきたいな


自由詩 朝露に濡れたような肌艶に程遠く Copyright komasen333 2012-06-22 14:28:53
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