終わっていく文化
番田
2000年に入っても芸術や音楽の中では目立った動きを容易に見いだすことはできない。そのようなことを考えていたら、すでに2010年すら通過してしまっていた。恐らくもう、我々の前には我々自身の感覚を驚愕させるような作品は絶対に現れないであろうことが予感される。例えば新しいと感じられる作品は、次の瞬間には最も古い感覚に差し変わっているのである。それは商業デザインやサブカルチャーのジャンルにおいては顕著であるけれど、誰もがそのようなどよめきの中に巻き込まれていて、あたかも、自分がどのような観点においてものごとを感じているのかすらもすでに認識していない。それはあたかも、経済活動の中に巻き込まれていく若い学生の姿を彷彿とさせる。
今後も、新しい芸術や文化的なムーブメントの出現は無いことであろう。しかしそれを待ち望んだところで我々の努力によってはどうすることもできない悲しい問題なのである。そういった状況をふまえながら、今後の経済の動向を予想してみるというのは面白い遊びである。例えば、現在の社会において、絵画や音楽と言ったものはそのなかでどのような役割を担っているのだろうか。恐らくどのような国においても、それらは完全に主要な問題からはないがしろにされている。社会主義国家や中東などでは、それらに触れる機会自体が全くないのかもしれない。本来その国に存在する民族音楽だとか、そういった表現の影響の方が現地の人間にとっては最も強いのであろう。