6月の風
yo-yo

いまは6月の風が吹いている。

空には太陽があった。
雲があった。
そして月があり、星があった。
ときには羽をもった鳥や昆虫たちが、空の近くを浮遊していた。

ぼくは中学生だった。
あるとき、雲の存在が急に近くなった。
毎日きまった時間に空を見上げ、雲の様子をじっと見つめた。
雲の形と色を、灰色のクレパスでノートに写した。
写してみると、それは雲ではなかった。雲は手に取ることも確かめることもできない。正確に写しとったつもりでも、ノートの雲はまるで別物だった。とても雲には見えなかった。
刻々と姿を変えていく雲に、ぼくは追いつけない。目には見えないものが雲を動かしているのだった。
ものの本当の姿を捉えようとすることは、とても難しいことだと知った。

親友のHは、毎日太陽を覗いていた。
理科教室の準備室のカギを、彼だけが許されて持っていた。放課後の校庭にフィルター付の望遠鏡を持ちだして太陽を観測し、鉛筆で黒い丸と白い丸をノートに記していく。
そんな彼のそばにいて、ぼくもときどき望遠鏡を覗かせてもらう。太陽には黒い点と白い点があり、黒い点を黒点、白い点を白斑というのだと彼に教えられた。
彼がノートに記していく黒点の、その半分もぼくは見つけられない。白斑はといえば、まったく見つけることが出来なかった。
ぼくに見えないものが彼には見える。そのことだけで、彼がぼくよりずっと優れた人間にみえた。彼に見えるものを、ぼくも見えるようになりたかった。

観測のあとはフィルターを外して、望遠鏡で遠くの山の木々を覗いたりした。枝から枝へレンズを動かしていく。すばやく流れていく鏡像を追っていると、体が宙に浮いて鳥になったみたいだった。
ときには目印になる木を見つけて、その木のところまで登っていく。そこは見晴らしの良い場所だった。ぼくのポケットにはハーモニカがあった。ハーモニカは1本しかなかったので、交代で吹く。
知っている曲がなくなると、でたらめな曲を吹いたりする。
彼の曲はテンポとリズムがきちんとしていた。ぼくはメロディだけを気分で吹いた。そのうち互いの曲想は似たものになり、やがてひとつの曲になっていくのが楽しかった。

その頃のぼくは、特定の女の子を好きになることがあった。
ときどき頭の芯や胸の奥が熱くなって、とりとめもなく膨らんでくるものを、吐き出したり吸い込んだりする。それは忙しげな呼吸のようなものだった。
音にも言葉にもならない、自分でも捉えがたい想いの動きだった。そんな曖昧な心の衝動を表すことや、それを相手に伝えることなど、ぼくにはまだできなかった。
なにかが、ぼくの体の中を渦巻き吹き抜けていく。それは甘い薫りをはこんでくる、初夏の風みたいなものだったかもしれない。

ハーモニカは、吐く息と吸う息の呼吸が音になる楽器だ。
呼吸は、まだ言葉にならない胸の中の想いのようなものだった。ハーモニカに息の風を吹き込んでいると、いつしかもっと大きな風につつまれている。呼吸と風が一体になって、みえない想いが音になって広がっていくのだった。
そのとき体の中を、快い風が吹き抜けていく。その風がどこから吹いてくるのかわからなかったけれど、風もまた呼吸をしているようだった。どこかで甘い果実を齧ってきた、風の息だった。

いくつものため息のあとに、大きく息を吸う。
この6月の朝の、風がふたたび果実のように甘くなった。







自由詩 6月の風 Copyright yo-yo 2012-06-13 07:56:16
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