豆ごはん
そらの珊瑚
さやつきグリンピースを買う
今年も
豆ごはんを炊こうと
薄緑色の愛らしい洋服ごと買う
冷凍グリンピースは
便利なのだろうけど
買おうとは思うわない
この時期限定で出回る
さやつきグリンピースはなぜか買ってしまう
筍もそうだ
水煮ではなくて
あの洋服ごとがいいのだ
大切に育てられた
箱入り娘ってかんじがいいのだ
グリンピースのさやも
筍の皮も
食べずに捨ててしまうものだけれど
捨ててしまうものこそ
実は大切なものなのかもしれない
手間ひまこそが
大切な時間なのかもしれない
まず、さやのまま茹でる
お湯の中で
踊らされて
みるみる鮮やかな
まるで生き返ったような緑に変わる
茹で上がった
グリンピースを
氷水で冷やして
色止めをする
鞘の中には
つややかな豆たちが
行儀良く並んでいる
ふっくらと太ったのもいれば
やせっぽちのもいる
(ダイエットしたわけではないだろうに)
豆の世界もいろいろなんだな
ここで
重要なのは
先ほどのゆで汁
これは捨ててはならない
グリンピースの
ほのかな香りが移ったゆで汁は
さまして
酒と少々の塩を加えて
それで
米を炊く
炊き上がったら
茹でておいた
グリンピースを混ぜるのだ
明日の朝は
私を豆ごはんが待っている
半分は朝食用に
半分は弁当用に
ふと
広島平和記念資料館で展示されていた
被爆して欠けたお茶碗や
黒こげになった弁当箱を思い出す
二度と
誰かのために
ごはんをよそられたり
詰められたりすることのない
ものたちのことを思い出す
その日の朝までは
あたりまえのように
そのことは繰り返されていたのに
グリンピースという名前の由来は知らないが
緑の豆たちが
ころんころんと
転がって
笑いあって
おまけにピースしているようではないか
来年も
同じように
豆ごはんが炊けるように、と
今日の食卓のむこうに
明日の食卓が続いていくように、と
願いは
やがて祈りになった