少数がきこえる
きみのてを
「みんなしている」
「誰もが思っている」
それはほんと?
聞くたびに感じる違和感
誰が確認して「みんな」「誰も」と言い切っているのか
多数が存在しているからといって
少数をなくしてもいいだろうと
きこえるのは私だけだろうか
確かに多数は大きい
少数は多数によって見えなくなってしまうだろう
だけれどそれでいいのだろうか
否定された少数は
どこを彷徨い歩けばいいのだろうか
言葉の選択は人の自由だ
それはわかっている
私もその言葉を使わないわけではない
少数を否定しないことがないわけではない
だけれど
だけれど
どこかで少数が叫んでいる気がして
「みんな」や「誰も」の中に入れていない人がいる気がして
私は今日も
そんな言葉に耳を傾けては
心の首をかしげている