象徴のこと
はるな


いい天気。
洗濯機を二回まわして、物干し竿を真っ白く飾った。
はす向かいの一軒家で、男のひとが車を洗っているのが見える。五月、快晴、日差しと紫外線、ホースからとめどなく押し出される水たち。
なんて象徴的なんだろう。わたしはこちら側にいて、それを見ている。夫は休日出勤でいない。電車にのって大阪へ行ったのだ。

象徴、には、安心させられる。
たとえば赤い爪とか。12センチのパンプスとか。夕方の煮炊きの音や匂いもそうだし、長い髪の毛もそう。つけまつげも、日焼け止めも、エプロンも、レースのカーテンにあたってはじける光たちもそう。こげ茶色で統一した家具も、きちんとそろえて畳んだ靴したも、並べて飾った香水も。安心させられるけど、ふと我にかえったときの、ぞっとする心地。象徴に囲まれて安心している限り、私自身がなにかの象徴になることも、きちんとした実在になることもない。
この部屋の実在―夫が―行ってしまうと、ここはばかみたいなレプリカになる。



散文(批評随筆小説等) 象徴のこと Copyright はるな 2012-05-19 12:18:43
notebook Home 戻る  過去 未来
この文書は以下の文書グループに登録されています。
日々のこと