永乃ゆち

冷たい湖の中をただひたすらに泳がせて欲しい

何処にも始まりはなく何処にも終わりがない

水草に足を取られて沈んでしまうまで

ただ泳がせてほしかった


そんな事を思いながらあの日水面を見つめていた

大した話じゃない

母親が死に小さい頃離れ離れになった父親の元へ

しわくちゃの祖父の手を握り締め列車に乗っていた

母が海の人だとすれば父親は湖の人だろうななどと考えていた


顔も思い出せなかった「父親」は酷く汚く見えた


私は私の運命を僅か14歳で知る事になる

連れて行かれたのは春を売る路地裏

私はそこで女になった



鉄格子の隙間から見える月は

湖の水面のように揺れていた

20歳の時私は60になる父親をナイフで刺した

理由は汚かったから

ただそれだけだ


冷たい床に寝転んでいると

湖を泳いでいる錯覚に陥る

一度も泳いだ事などないのに


けれどそれはとても心地の良いものだった

泳がせて欲しい

ただひたすらに


あの日見た風景が最後の美しい想い出だとして

私は何を後悔するだろう


冷たい壁、冷たい床、鉄格子の嵌った窓

私はいつか沈んで息絶える

湖の冷たさも知らないままに


自由詩Copyright 永乃ゆち 2012-05-17 21:06:48
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