湖
永乃ゆち
冷たい湖の中をただひたすらに泳がせて欲しい
何処にも始まりはなく何処にも終わりがない
水草に足を取られて沈んでしまうまで
ただ泳がせてほしかった
そんな事を思いながらあの日水面を見つめていた
大した話じゃない
母親が死に小さい頃離れ離れになった父親の元へ
しわくちゃの祖父の手を握り締め列車に乗っていた
母が海の人だとすれば父親は湖の人だろうななどと考えていた
顔も思い出せなかった「父親」は酷く汚く見えた
私は私の運命を僅か14歳で知る事になる
連れて行かれたのは春を売る路地裏
私はそこで女になった
鉄格子の隙間から見える月は
湖の水面のように揺れていた
20歳の時私は60になる父親をナイフで刺した
理由は汚かったから
ただそれだけだ
冷たい床に寝転んでいると
湖を泳いでいる錯覚に陥る
一度も泳いだ事などないのに
けれどそれはとても心地の良いものだった
泳がせて欲しい
ただひたすらに
あの日見た風景が最後の美しい想い出だとして
私は何を後悔するだろう
冷たい壁、冷たい床、鉄格子の嵌った窓
私はいつか沈んで息絶える
湖の冷たさも知らないままに