ペイター「ルネサンス」(2)
藤原 実


ペイターはヴィンケルマンの人物像について


   「そこにはいつも、何か新しいものを発見する願望よりも、失ったものをもう一度
    手に入れようという憧れがあるように見える」
               (「ヴィンケルマン」)


と言っているが、それはかれ自らの性向でもあったろう。


   「われわれの生活のなかの現実的なものは、流れの上にかつ消えかつ結ぶ泡沫か、
    過ぎ去った瞬間のいずれは逃げ去る記憶をわずかにうちに留めた、ただ一つの鋭
    い印象に、小さく解体する」
                        (『ルネサンス』「結語」)


結局ペイターにとって、美とは追憶である。



    ああ麗はしい距離(デスタンス)
    常に遠のいてゆく風景・・・・・・・・・

    悲しみの彼方、母への
    捜り打つ夜半の最弱音(ピアニツシモ)。

               
            (吉田一穂『母』)



眼にうつるものを絶えず遠ざかっていくものとして見ること、分解してゆくものとして見
ること。現実という「事物の洪水」のなかの刹那の一瞬、最弱音を聞き取る耳を持つこと。

そして追憶であるために、かれとかれの美学を奉じるものにとって、その表現は時空にし
ばられるものではなくなる。過去現在のあらゆる印象が同一空間に置かれ、そのためひと
つひとつの持つちいさな響きは、やがて共鳴し、エコーする。


   「かつて生ける男女の興味を呼び起したもの……彼らが語った言葉、声をひそめて
    耳傾けた神託、人が現実に胸に抱いた夢想、心を燃やし時と情熱を注いだ事物は、
    その活力をすべて失うことは決してない。」
                       (「ピコ・デルラ・ミランドラ」)



    現在の中に
    過去の記憶を入れて
    現在の喜劇をつくる
    過去を現在にする
    「恐怖のよろこび」だ
    このハハコグサも
    限りない人間の追憶の
    一瞬の神の笑いだ
    この硯の石も
    無限の追憶の荒野に
    ころがつているのだ
    意識は過去だ
    意識の流れは追憶のせせらぎだ
    時の流れは意識の流れだ
    進化も退化もしない
    変化するだけだ
    存在の意識は追憶の意識だ
    「現在」は文法学者が発見した
    イリュージョンである

         (西脇順三郎『えてるにたす』より)


散文(批評随筆小説等) ペイター「ルネサンス」(2) Copyright 藤原 実 2003-10-23 01:09:54
notebook Home
この文書は以下の文書グループに登録されています。
『世界の詩論』(青土社)を読む