49 ‘til Infinity
澤あづさ

http://www.youtube.com/watch?v=YABLsFK8gjY


 エルニーニョは神の子だから、その呼応が悪魔であっては事であるからラニーニャと呼ばれた、少女は誰でもない。なんでもない、
 エルドラドのラスドラダス。ケンタッキーへ行くと言いつづけて結局行かず三十年の蔵で、バーボンふうに内側を焼き焦がされたオークの樽に、まだ溜めこんでいるウィスキーが、南のトウモロコシのせいなのか黄色すぎて売れない。時おり某のスコットランド人が、内側の焦げ目の黄ばんだ古樽だけ買いつけに来るが、やつのスコッチも売れてはいないスラーンチェ・ヴァーアンナンバー、レピンチレアンマシェドホレ、

 "Hey, miss, who's there? I'm through there."*

 某のスコッツ氏が放つ th は時おり、強すぎる息で舌のわきから t を跳ね飛ばしいっそ gale 語。西へ至った貿易風が東へ帰ると、町はずれのりんご園の、春にはあかない直売所のわきの、日本の「ふじ」の木からのぼる、ひらききった中心花の白い香り。どうせ間引かれる側花どもは、まだ赤らんでつぼみのまま。
 どうせ用がなくとも、やりもしないブレンドのためのテイスティンググラスへ、十二年の熟成を注ぎだすと、
「How mellow my yellows are!」
 立ちのぼる黄ばみ。あから頬の小さな鼻に年を埋めて童顔を、蜜のいろの (O Fuji apples!) もやから剥きだし (my fair bananas!) 足はない。地につかない、
「Too pissy truly,」
 つぶやくと黄ばみが、
「YOSEMITE am I,」
 名のるので、こいつはミウォクに違いないと決めこんだ。ほかのアメリカインディアンを知らなかったからだ。ミウォクのことももちろん、知らなかったからだ、

 "Time to get prolific with the whiz kid."*
「Nip Nip's Nipple lol」

 町はずれのりんご園にもハングタウンの坑道にも、つらなる森の脈はもう白けたんだと亡霊がささやく。少女の震えを駆る西でうねる風へと跨れば、黄ばみすらブリトルブッシュが打つ砂漠の一点でしかない。点でしかない。49年、だったか45年だったか、それからずっとこんな感じさ。



<*付の英文は Souls of Mischief "93 'til Infinity" から引用しました>


自由詩 49 ‘til Infinity Copyright 澤あづさ 2012-05-08 05:25:03
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