尾崎放哉と自由律俳句についてのメモ
……とある蛙
尾崎放哉を中心にして自由律俳句についての覚え。
俳句五七五の音数律にとらわれない俳句を自由律俳句と言う。
結論を先に述べると、自由律俳句とは定型にとらわれないのではなく、意識的に定型を拒否するものである(独断です)。
萩原井泉水は(自由律句は)俳句であることに拘りを持っており/将来的に定着する俳句のバリエーションとしてとらえている。言い方を変えると定型に対する恒常化された破調ととらえ直すことができる。本音のところでは、常に定型を意識しているのである。
定型律を拒否することによって生まれる宙づりの不安定な緊張感こそ自由律俳句の真骨頂なのだ。
ごろりと横になる今日が終わっている 放哉
動詞二つがあり、二つの擬似文が俳句的統語作用によって一つの俳句となっている。
放哉は社会的な脱落者である。俳人には珍しい一生をおくっているとも言える。俳句は余技としての俳句が多く、俳人は廃人ではなく、常識的な社会人が多い。
何故脱落者になったか。つまり、放哉は帝大出のエリートとしての自意識が過剰で、結果的に社会になじめなかった人物と考えられている。
エリートサラリーマンがなじめず寺男になった放哉だが、常に鬱屈を持って人生を生きている。その句は日常風景を詠みながら、自意識が投影された句になっている。
漬物樽に塩をふれと母は産んだか
通常の寺男はこんな事は思わない。放哉の持つ自意識から出た句である。
放哉は自由になるために寺男になったのでは無くて、人間関係を処理できない過剰な自意識から寺男にならざるを得なかったと考えるべきである。おそらく厭な奴だったのだろうと思う。
結局、彼の自由律俳句にもそれは投影されている。
つまり、放哉は定型(サラリーマン生活)から自由だったのではなく常に不安定な状態だったのでは無かったか。
あの有名な
せきをしてもひとり
という句から絶対的な孤独感が感じられている。とても不安定な句でこれ自体おかしみも感じられるが、社会的に不適合な人間の絶望の裏にあるおかしみである。。
放哉は社会環境に対する不適合者だったのだと考えられる。
当然限界は有ると思う。彼は 最後、どんな気持ちで鬼籍に入ったのだろうか。
私が思ったのは住宅賢信もそうだが
自由律俳句というのは、本当に言葉の選択に関する感性が必要な詩形だと思う。そのような観点から自由律俳句というのは天才か追い込まれた人間にだけ許された詩形だとあらためて思う。