静という泉
月乃助
山を二つ越えた 谷あいに
老婦が ひとり住んでいる
杉森の影をうすくうつす そこに
ばあさまの名前のついた泉がある
涌きでる清水は 億年の/恵み
甘く やさしい
茶を 蕎麦を 酒をつくるため
水をもらいに 人は森をこえてやってくる
紅までとどかぬ 恥じらいの八潮の花が
水などと 不思議そうに眺めている
そばに ぽつねんとする
ひとかかえもある木蓮は 泉の守人
春におかされ 狂ったような陽気の
白い灯火が 泉面にゆらぎ、
時折、墨絵からぬけでた怠惰な鯉が
花の影をすう
私はもう我慢できず
裸足になって 泉水を踏む
痛いほどのつめたさに
心のほとりの 消え去らぬ淀みを洗う
震える私をみて
森が、泉が、風が、鳥が、
高笑いをあげ、
( 穢れなど 古より ありもしなかったはず ) と、
白いさざなみを立てる
私は、
脱ぎ捨てた靴を 泉に向かって投げつけた
黒いそれは、笑い声に飲み込まれ 大きな波紋の中に
姿をけした
歩むすべを失う
波紋をみつめ
想い
また、波紋をみつめ
私は、もうこの森から帰れぬと
この里にいようと
心にきめ た