やすらかなこと
はるな

夫はわたしの手足を縛る、とても適切なやり方をしっている。どうしてだかはわからない。そういえば、最初からそうだった。どうしてだろう。他人なのに。

土曜日だというのに、部活動でもあるのだろうか、制服を着た高校生がひらひらと歩いていく。あかるすぎるくらいに日が照り、こぼれるほどの雪柳の横を通り過ぎると緑のにおいがした。それで、きゅうに思い出した。

「質量保存の法則が」
二日前に、デパートのトイレで(洗面台とはべつに、すこしはなれた場所にメイク・ルームがあって、鏡が四つならんでいて、それぞれの鏡の前には椅子があり、仕切りでそれぞれ区切られている)、女の子が三人かたまってそんな言葉を言っていた。ばりばりして硬そうな制服で、みんなそれなりに賢そうだった。そういえば新学期だったな、四月から、熱心だな(そういえばそのデパートの近くには大きな予備校がある)、と思ったのをおぼえている。
質量保存の法則。でも、ある種の不安は、何もないところからきゅうにやって来て、そして物質的な暴力さで、踏み荒らしていくのに。制服を着ていたころ、そんなふうに考えていた。じゃあこれは誰かの不安なのだろうか。不安はなくならず、世界をひとまわりして、またやってくるものなのだろうか。と、考えるととたんに悲しくなり、もちろん物理の成績はひどいものだった。

あんなあかるいデパートのトイレで、大人の顔をしながら、制服に微笑むなんて、なんて遠くまで来ちゃったんだろう。何もかも体験しきったような顔して。
そういえば春だってべつに好きじゃなかった。置き去りにされるような気持ちで。新学期は憂鬱だった。きまって新しい靴下を用意されていた初登校の日。それはひねくれて引っ込み思案のわたしへの母からの励ましだったのだろうけど、そのときはそんなふうに思えなかった。なにもかも、わたしのことなんて知らない顔をして。よそよそしい季節。

でもそんなこと、すぐに忘れたのだ。お買い物をして帰り、夕食をつくって、あたらしい洋服を夫に見せびらかして、夫はあたらしいCDを買ったからと、ドライブに連れ出してくれた。シャワーのあとで、わたしがひどく泣いたので、夫は機嫌を悪くした。それでもまだ泣いて、それから笑って震えだしたので、夫はわたしの手足を縛って、布団に入れてくれた。
それはわたしが頼んだやり方で、夫は、とくに必要なときだけそうする。それが適切な場合にのみ、適切なやり方で。わたしは、出荷を待つ鶏みたいに、しばらく転げまわったあとで、眠ってしまう。

そうして今日は、あれは、なんだか思い出してしまったからなんだなと、納得した。
いまだに季節に慣れることができないと、笑われるだろうか。桜も、雪柳も、おだやかなものではないのだ。花を買うことも、夫の帰りを待つことも。穏やかな生活も、それも、おだやかなものではないのだ。「慣れる」ということに、慣れることができない。制服を着ることも、脱ぐことも、慣れなかったように。あらゆる物事にがんじがらめになることでしか安心できないし、息苦しいくらいでなければ息をしているかどうかもわからず不安になる。愚かなことだ。

だからきょうはいちばん好きなドーナツ屋でドーナツを1000円ぶん買った。
ここのドーナツは、おいしい油の味がするのだ。
「きょう限定で、1000円以上のお買い上げでマグカップ差し上げています。」

マグカップにはくまの絵が描いてある。
ねそべっているくまの絵。
やすらかなことを考える。
やすらかなこと。
ねそべっているくま。ドーナッツ。洗い物のすんだ台所。あおぞら。かもめ。日曜日の朝の無精ひげ。
やすらかなこと。昨日がだめでも、今日がだめでも、明日がだめでも。誰かの不安がここへめぐってくるのだとしても。わたしの不安が誰かにめぐっていくのだとしても。
それでも、と、考える。
それでも、と、考えることのできるやすらかさ。
どうしてだろう。他人のような距離で、自分を愛することができるような気がしてくる。



散文(批評随筆小説等) やすらかなこと Copyright はるな 2012-04-15 00:49:45
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