《Rockは死んだ》か
HAL
『Hotel California』がリリースされた頃
ぼくがパンク・ロックの帝王と呼んでいた
ジョン・ライドンは《SEX PISTOLS》の最後のライブで
捨て台詞の様に脱退宣言として『Rockは死んだ』と言い放った
そうかも知れないと若かったぼくは想った
’77年にリリースされた《EAGLES》の
最後のアルバム《THE LONG RUN》は
ライドンの言葉を如実に物語っていた
敢えて母国で迫害民族となっている
インディアン民族の神話の神である《EAGLE》を冠した
それ故に定冠詞はつかないバンドの役割はつねに時代の
変調を告げることであり時代の偽善を曝すことだった
彼等は自分達の祖国であるアメリカ合衆国に激怒していた
ぼくの大好きな楽曲である《The Sad Cafe》を
そのアルバムのラスト曲に収めたことは
彼等ははっきりとぼくらにひとつの時代は終わったんだと
彼等もぼくらもこの世界は《愛》や《自由》の言葉で変えられると
想っていた淋しい人混みの一部だったとも総括さえしていた
しかし彼等は最後にこう歌った
『愛しいひとの様な真夜中のSad Cafeで逢わないか』と
それは彼等とぼくらの再会の約束だった
彼等は2001.9.11にぼくらと逢う前に
再結成後の最初の新しいアルバムの為に逢う予定でいた
しかし誰もが知っている様にその日は
アメリカ同時多発テロが起こった日だった
彼等は集まらなかった集まることができなかった
すべてが振り出しからの再スタートとなった
そしてそれから6年後の2007年に
彼等がぼくらと約束をした再会のアルバムである
2枚組の《LONG ROAD OUT OF EDEN》が
ようやく30年の歳月を経てリリースされた
そのアルバムのなかには《Do Something》と題され
『何かを遣るんだ。遣るのにまだ遅くないんだ』と
彼等も再会したぼくらも叱咤鼓舞する様な楽曲も
多く録音されていたし《instrumental》だけど
《I DREAMED THERE WAS NO WAR》など
余りに美しい旋律だけにアメリカが介入したイラク戦争に対して
彼等のブッシュへ込めた怒りが生半可なものだとは想えなかった
この《LONG ROAD OUT OF EDEN》を聴いて
ジョン・ライドンは『Rockは死んだ』と言うだろうか
きっと彼ならこう言い替えるだろう
『Rockは生き返った。それもゾンビの姿ではなく神の姿として』
もちろんぼくもその言葉に一票を投じるつもりだけどね
※作者より
《THE LONG RUN》のすべての楽曲の歌詞はぼくが訳しました。《The Sad Cafe》も、もちろんぼくの訳です。理由は歌詞カードの付いてない海外盤だったためです。また《LONG ROAD OUT OF EDEN》は、海外盤がどう云う訳か手に入らず、しぶしぶ国内盤を購入しました。そのため、歌詞カードも対訳も付いていましたが、その誤訳だらけと呼んでも構わない対訳者である斉藤真紀子なる女性を余りに《EAGLES》のことを知らなさ過ぎる者と断定して躊躇なくすぐに対訳はゴミ箱に捨てました。それを持ってるだけで《EAGLES》に非礼だと想ったのが理由です。こう云う遣り方でぼくは英語(米語ではありません。《EAGLES》も含めアメリカ人は訛りがきついのと、スタートがBeatlesを始めとするRolling Stones Yardbirds Wuo Hollys Birdsなど多くの英国バンドであった為)を中学二年から学び、またいまも遣り続けています。渡辺謙氏の娘である杏クンも同じ方法で海外の楽曲を理解していますが、言う迄もなく杏クンの方が遥かに能力は秀でています。またぼくはプロフィールに記しましたが、土日・祝日は休みで投稿しませんので、明日の投稿分になりますです。ハイ。