丸めた紙くずの存在論
N.K.

例えばさっき君がくしゃくしゃに丸めた書道作品の返却物は
それは確かにいまここに在るのだが
それは一体誰のものなのかと
問いを立ててみようじゃないか

君にとっては持ち帰るのが面倒くさいものとして在る
書道の教師としてはルーティーンというものとして在る

それでもそれは君だけのものじゃない
それでもそれは教師だけのものじゃない

それがあるのは君と教師に繋がりがあったから
それ以外にない
おざなりの教師の名を記す検印つきの
丸めてしまった写書
そこにどんなに貧しい関係がそこに浮かび上がるにしても

貧しさについて言えば
君と教師の
どちらかが貧しいというのではない

君は反発心から返却物を丸めてしまいたかったかもしれない
君は点数の抜け殻をくしゃくしゃにしたかったのかもしれない

でもその行為は教師という存在を丸めただけでは終わらない
それと同時に君自身をも丸めてしまった
そう言わずにはいられない
他人の存在を丸めてしまうような時には
それと同じ力が自分にもかかっているもの
作用反作用を持ち出さなくても
丸めた時に心のどこかに痛みを感じたならば
それがそう教えてくれるに違いない

もしも書道の返却作品が大切に扱われたならば
それを見た教師は痛みを感じるだろう
自己のルーティーン化した作業を
恥じる分ほどの痛みを
君が丸めた時に感じた心の痛みと
おそらく同じ痛みを

丸めた半紙を広げてみようか
くしゃくしゃの和紙のしわを伸ばしてみようか

その行為の中に君と教師の繋がりの回復が存在するだろうから

そうすることによって教師はまた生かされるだろうから
君もまた君自身が大切にされるべき存在だということがわかるだろうから


自由詩 丸めた紙くずの存在論 Copyright N.K. 2012-03-15 21:40:15
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