おおよそ統計に従はば
諸君のなかには少なくとも百人の天才がなければならぬ
宮澤賢治「生徒諸君に寄せる」より。全く具体的でも統計学的でもないのに、何故かわくわくさせられる数字のロマン。
未完のまま眠っていたこの作品が公開されたのは、昭和21年の「朝日評論」誌上。しかしそれは八つの断章を切り裂き、つなぎ合わせ、細部に至るまで改変したものだった。かくして、「百人の天才」は「千人の天才」と書き換えられた。
彼らは「百人」の抽象の中にこそ生まれる刺激を解さなかったのだ。「告別」が読まれるとき、詠われるとき、あの「町と村との一万人」のなかの「五人」、そして「五年」のスケールは、これほどに焦りと緊張を呼び起こすのに。
結局、このリミックス版、というよりは粗雑な切り張りが、現在に至るまで広く流布されることになった。
さて、「生徒諸君に寄せる」というタイトルと、断章最終部の「さあわれわれは一つになって」という言葉は、そのままシラーの「歓喜に寄せて(An die Freude)」を想起させる。
シラーを下敷きに、キリスト教的ヒューマニズムを超えた共感を志向する点において、「生徒諸君に寄せる」はもう一つの「第九」と言えるかもしれない。
もう一度、ベートーヴェンが書き加えたあの一節を思い起こそう。
「おお友よ、そのような音ではなく!」
あのとき朝日新聞社でペンを握った御老人に百回言ってやれ。詩人の言葉をリミックスするとはこういうことだ。