詩のスタイルについて
小川 葉
何度かした笑い話であるが、子供がアップル社のノートブックに、アップルジュースをこぼしてしまって、アップルストアにその旨を話したら、そのユーモアをたいへん評価されたのであるが、修理する金額で新品が買えてしまう事実を告げられ、それ以来わたしはパソコンで詩を書かなくなってしまった。
それから主に携帯、今はiPhoneで詩を書いているのだが、それが良かったのかもしれない。携帯端末では、あまり長いものが書けないのだから、いつしか、二行×四連という、しかも変換してる間にも、言葉は逃げてしまうものだから、ひらがなという、そんなフォーマットを築きあげたのである。
これは子供に感謝すべきかもしれない。もし子供があの時アップルにアップルをこぼしてなければ、わたしの詩のスタイルもなかっただろう。今もパソコンで詩を書いていたとしたら、きっとあの時みたいに長いものを、たらたら書き続け、わたしにとって詩とはなにか、などと腕組みしていたかもしれない。
短い詩のトレーニングを、あれ以来積み重ねてきた。そろそろまたパソコンで、長いの書いてみたい気もするが。あるにはあるのだ。しかしそれは専らワンセグTVとなっていて、家族に占領されている。父の詩作専用に、もう一台欲しいものであるけれど、まあなければないで、困らない程度のわたしである。