鎌倉のこと
渡邉建志

一睡もせず朝四時半、始発で鎌倉へ。まだ暗いうちに円覚寺の門をくぐる。暗い中に人が少し。お堂へ歩いていく。わけもわからずわたしはついていく。靴を脱ぐ。お堂へはいる。広くて寒い。座布団一つと小さな二つの座布団的塊をみんなもっていくのでわたしもそうする。お堂のまわりに長いすのように座る場所が囲んでいてみんなその上に座布団をしき、例の二つの塊をその上にのせ、おしりをその上にのせて胡坐を組む。二つの塊はいすだったようだ。知らなかった。

大仏の隣におっかないかんじでお坊さんが胡坐を組んで座る。何も話されない。皆何も話さない。ときどきおなかがなる。人々の。わたしの。さむい。突然拍子木。ぱーん。ぱーん。そしてかーん、かーん。この組み合わせが突然鳴り、また静けさ。

お坊さんが立ち上がって例の長いやつを持ってこちらへ歩いてくる。薄目を開けて緊張する。どうすればいいのか分からない。わたしは運悪く端っこに座っていたので。お坊さんはわたしの斜め前でじっと立っている。どうすればいいか分からない。薄目で焦る。突然たたれるかもしれない。煩悩はたっぷりあるのだ。

そしてお坊さんはわたしの前を通り過ぎていく。





7時に座禅会は終わる。北鎌倉から鎌倉へ歩く。鎌倉駅のスタバで朝ごはんを食べ、うつらうつらすると地震がある。メールが来て、Aちゃんは遅れるという。そのまま待っている。Aちゃんが現れて、こっちのスタバなのかあっちのスタバなのかわからなかった。あっちのスタバはプールがあってきれい、というのであっちのスタバへ行ってプールを見る。夏は泳げるのですか?いいえ。

そして延々と話をする。Aちゃんと僕はいま同業種のようなことをしている。僕のボスがAちゃんのボスに会いに行くことになって、Aちゃんは僕のボスの秘書の電話をとり、スケジュールを決めたりリスケされたりしている。





鏑木清方美術館は小さく、好きな絵は展示されてなかった。出し惜しみー、と思った。ルドンの展示が少ない日の岐阜美術館みたいだ。





フレンチ。むかし教会だったところで。





すこし離れたお寺へあるく。Aちゃんは、僕が早く歩くのでおどろく。数キロ歩いて疲れてバスに乗る。おそばが振舞われるのが目当てなのだというので、あいかわらず食いしん坊なかんじでかわいいなと思う。Aちゃんはずいぶん美人さんに変わったけれど、いまだに初めて見たときの彼女が書く詩のような清新な印象のままでわたしには写っている。明王院の初不動。護摩をたいているのをはじめてみる。Aちゃんはお寺の娘さんだからいろんなことを教えてくれる。聞いてなるほどーなるほどーという。護摩って言う物事をわたしはしらなかったのである。前から割り箸が回ってきて、後ろの人に渡してくださーい、と前の人から渡される。Aちゃんがそれを受け取って、ねえいまの人、女優のIさんだった、という。よく見たら(見るべきなのか)そうで、しかし最近見ない人をよくそんな一瞬でわかるよね、と驚く。声で分かったんだという。そんなものかとおもう。娘さんが二人いてかわいかった。





バスに乗った。Aちゃんの家のよこを通って、でっかいスーパーの地下のフードコートみたいなところでソフトドリンクを飲みながらたわいのない話をした。おもにAちゃんの結婚生活について。結婚したことのないわたしはいろいろびっくりした。結婚はしておこうとおもって、といっていた。そうなんだろうなあ、と思った。味方ができるということ、帰る場所があるということ、なのだ、と聞いて、それはそうなんだろうなあ、と思った。



散文(批評随筆小説等) 鎌倉のこと Copyright 渡邉建志 2012-02-19 00:30:33
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