まして比喩ときた日には
シャドウ ウィックフェロー
教訓めいたのは苦手だけれど
たとえ話しが好きで
特に話しが抽象的になってくると
焦れたようにこう言ってしまう
それはたとえばどんなこと?
何かにたとえると
それで分かったような気になって
なぜか納得がいって安心したりする
そのせいかむかし
算数から数学というものに移るときも
素直にはついていけなかったな
みかんを何人かで分け合ったり
ツルとカメの足を数えたりはできても
どんどん抽象化する数や数式に
具体的なイメージをもてなかった
でもようやく気づいたことがあって
具体性というものも多くは
ひとつの抽象にすぎないのだろう
言葉も数と同じようにひとつの定義であり
それを支えるのも言葉でしかないから
辞書にあたって定義の往復運動を
したことのある人になら分かるよね
意味を支えている本質は言い換え
つまりたとえ話しのようなものだと
たとえば「思想の地平」と言われて
「地平」はあくまで抽象だろう
「地平」の具体性は
緑の平野なのか砂漠なのか
そこに木はあるのか
ぺんぺん草は生えているのか
そもそも昼なのか夜なのか
お天気はどうか
まさに千差万別でとりとめもなく
それぞれのイメージの世界にとどまっている
まして比喩ときた日には