つらつらと
番田 


ノエルギャラガーのアルバムを聴いて、寝た。喫茶店ではいつもこち亀を呼んでいる。ギターを弾く気力も最近はなくなっていた。俺にギターを弾く才能がないのはわかっていた。その音は、俺の感性からは遠かった。
あきらめるということだけが、人生の中では大切なのかもしれない。
例えば子供の頃に、絵の才能がないと親にさとされるように、ほとんどそれは、多くの場合、当たっているのだろう。
人が物事に興味を持つのは何故だろう。ところで、詩を書くことに興味を持つ小学生はいるだろうか。あまりいないと思う。第一、そんなものを読む機会自体が少ない。あまり、それは、読む機会すらない。大人になっても、それについて考えたり、話す人も多くはない。
何も考えずに生きていると、物事に対して焦燥感を覚えるのは、つまり自分自身に何か大切なものが欠けているからだ。すでに満たされているのなら、すでにその人は幸せであるということができる。
思想は外的なストレスによって形成されるのかもしれない。それとも、それに対する反発なのか。どちらにしても、表現は不幸によって生み出される。
少年時代に詩を書こうとするものはいない。心が満たされていれば、外部からストレスを受けること自体がないからだ。青年は日常から離れたものに目を向ける。それが視覚であるのなら絵画であり、音なら音楽であり、言葉であれば詩となるのである。


散文(批評随筆小説等) つらつらと Copyright 番田  2012-02-13 01:06:55
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