「なんてかわいらしんだろ人間て」
モリマサ公


柔らかくて湿り気のある赤ん坊の肌状の空間が薄いグレー。
空の成分について考える。

感覚と距離を体に叩き込む。
意味とかなんて全然わからなくていい。
俯瞰する自分自身のイメージを何回もシミュレートする。
成功するイメージが重なって確信となる。

ひよこまめってなんだかかわいいですよね。
だれかがツイッターの枠のなかのその文章を消した。
良いツイートというものは?
フォロワーのフォロワーと、そのフォロワーの目玉たち一個一個が見つめる現在。
パーソナルコンピューターを覗き込むときの不思議な浮遊感がふんわりとみんなを覆う。
輪郭線を失った人類がやわらかくはりつめてどこでもない場所となってく。
夜空は「あれがわたしたちのほんとうの皮膚だよ」になる。
これが歴史というものなのかな。

物足りない気がしたので冷蔵庫をあらためる。
アボガドの存在をおもいだした。
よく熟れていたからめずらしかったので買った。
半分に切ってぱかっとやる。
種を包丁のしっぽの角でかっと刺してまわすときれいにとれた。
トマトをさいの目にきって、ツナとまぜる。オリーブオイルと塩でサラダ。
だれかおしえてやれよ「そういえばアボガドってお醤油で食べるとおいしいよね」って。
うまれてはじめて買ったパウチの醤油がこっちをみている。
それが非常においしかったのでわたしたちは本当に後悔した。

絶望していろバーカ。

壊れた人工衛星が頭上をただゆっくりよこぎってもう誰のものでもない。
真夜中のビニールハウスで電灯がいくつもばかみたいにひかる。
その中にいるぼくたちの花はばらばらな角度に咲き乱れる。
地上でのわたしたちの思い出のにおいがにじむ。
すごい明確な曖昧さにしがみついてる今。
からっぽのバスタブの裏側で。
バラエティ番組の笑い声が遠い。
限りなくグレーな風景のなかを歩いてく。
そこまでしあわせでないかんじがする支配。
必要以上に絶望することによって捏造されてく「傷」の存在。
とっても安全な痛み。

「なんてかわいらしいんだろ人間て」

時間が経過することによってわたしたちは日々回復してる。
誰もがその時々の自分の価値観に忠実だったってだけで今はもう全然違う。
モンスターってゆーか得体の知れないなにか圧倒的なものとはもう戦う必要は全然無かった。
気負いの無さという中でおしつけない生き方をして謎めいてく一分一秒を大胆にやりすごしたい。
モニター画面からはみだしてくる読み取れないめんどくせーニュアンスとか、もう考えんのやめた。
誰もすでに納得しようだなんておもってないよ。

記憶に明日は無い。
フレームという断片の中でわたしたちが漂っている。
やさしくかがやいている湖にだれもが写り込むことができるように。
山の稜線をはさみでなぞって「パードンミー」の声がよこぎる。
車線の向こう岸にきみたちがいた。
だれのせいでもないのかもね。
植木鉢の中のクモの巣。
とっても安全な痛み。

いつからこんなふうにぼくたちは歩いてるのかしら。
目覚まし時計が鳴らない朝に太陽がゆうらゆうらのぼってゆく。
「誰にも会いたくありません」が画面にぽっつり表示されて。
ぼくたちはすでにコミュニケーションをはじめてしまう。

「なんてかわいらしんだろ人間て」






  



 


散文(批評随筆小説等) 「なんてかわいらしんだろ人間て」 Copyright モリマサ公 2012-02-11 00:04:17
notebook Home