シークレット(散文詩)
そらの珊瑚
私は苺を潰して食べるのを無上の喜びとする女です。完全に潰すのではありません。
いうなれば半殺しです。苺を半殺しにするのです。
半殺し、などと、物騒な言葉を知ったのは、お彼岸の時だと記憶しております。母親がおはぎの材料である小豆の潰し方で、そういう呼び名のあることを教えてくれたのです。半殺しにされた小豆は、言葉通りに半分だけ原型をとどめ、まさに半殺しの状態といえました。料理というものは、命を料理するわけであり、料理される側からしたら、残酷なことであり、台所は勝者の法律のみがまかり通る、いわば裁判なしの処刑の場です。
その時ほんのかすかではありますが、山椒の木で作られた擂り粉木を持つ母の口の端に、笑みのようなものが浮かんでいたのを覚えています。
母もまた、人生において潰してしまいたい、いや潰されたがっているものを抱えて生きていたのかもしれません。女としての母の姿を私が知ることはこれから先もないと思いますし、知りたいとも思いません。子にとって必要なことは、母の顔だけで充分なのです。
「苺を潰している時の君は、なぜそうも嬉しそうなんだ」
とあなたは聞くのですか? 潰されたがっているくせに。
幼稚園のれんげ組だった頃、私が作った粘土細工の薔薇を、わざと潰したK君のことを思い出しました
せっかく作った薔薇を(とにかくあの頃の私ときたら薔薇ばかり、いいえ薔薇しか作ろうとしなかったのです。薔薇以外のものなんて作る価値のないものだと思っていたのでしょう)拳骨でひとつひとつスローモーションがかかったように潰していったのです。
私の薔薇園は悲鳴を上げて、無残な廃墟となりました。
すぐさま私は反撃に出ました。
K君の作った怪獣だかなんだかわからない幼稚な代物を、床に落として踏んだのです。踏んで、踏んで、踏みつけてやったのです。
息を吸うのも吐くのも忘れていました。ただぐちゃぐちゃに潰れていく粘土の悲鳴を上履きを通して感じたのです。
私は薔薇の仇をとったのでした。
以来私は粘土に一度たりとも手を触れていません。なぜなら潰すという喜びを密かに手に入れてしまったからです。
それは秘密の甘美な遊びのように囁き、玉虫色の鈍い輝きを放ちながら私を誘うのです。いつしか私の心に棲みついてしまったようです。
愛しいあなたを踏み付ける時の喜びは、苺を潰す行為そのものなのです。
この世の中に、自分にとって価値のあるものなんて、ほんのひとにぎりのことであるのでしょう。
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