逃避における錯乱
Ohatu


 始めから、カップは空だったのだ。
 ゆらゆらと天井から吊らされた裸電球にまとわりつく湯気は
 確かにそこにあったけれど。
 暗い部屋、何度も叫び、黙る、その、錯乱。
 底なしに、女である。
 すべてを剥ぎ取ったあとの、つまらない、ただの女。
 膨らみと、窪み。穴と、器。

 随分と沈黙が続き、湯気が、湿った煙草の紫煙に化ける。
 暗い部屋の中、揺れる電球が時計に化ける。
 無口な時計、確かに動いているのだ。
 女は満たされる、ひとりだけ、ひとりきりで。
 繰り返す。完全に終わり、偶然に始まる。
 ただの肉、あるいは、美しい空白。
 液体。におい。声。息。音。憎しみ。激しさ。殺意。報復。
 狭い部屋はすぐに埋まり、愛の居場所など無い。

 女は詩人であるという。
 つまらない朗読が趣味であるという。肉も揺らさず、嘘を吐く。
 バイトをしているといい、父親は、見合いを勧めるのだという。
 思想なんかは無いのだといい、先生に犯されたという。
 生きていてもいい理由を探すために、生きているのだという。
 女。
 内燃しない永久機関、ないしは、亡霊。
 往復運動。

 いつの間にか満たされたカップ。
 泳ぐには狭く、溺れるには深いのだ。





自由詩 逃避における錯乱 Copyright Ohatu 2012-02-06 12:43:01
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