このわたしを超えていくもの 2012
たま
短歌を超える詩が、あってもいい
詩を超える短歌が、あってもいい
詩人も、歌人も夜はおなじ寝床で肌をよせあって
眠るのだとおもう
今日はもうなにも書けなくて
はやくお風呂にはいってあしたにしよう、なんて
のんきにかまえているけど
あいにく、このわたしに詩心はなくて
あるのはあさましい恋心だけなんだとおもう
歌が先なのか、恋が先なのか
それさえわからなくなるほど恋をしては
詩を編んで
歌をうたってきたけれど
なぜか、恋はいつも他人でしかなくて
体温をなくした歌だけがのこってしまった
とおざかる女たちはいつまでも美しいというのに
詩人は歩くように詩を編み
歌人は息をはくように歌を詠む
それはまるで
日々、やすむことなく
遺書を書きつづけているようなものだから
いつ、いのちを閉じても悔いはないと
いいきることができるだろう
一年の半分は詩を編んでくらしているけど
それはもう日常に癒着しているから
多いとも少ないともおもわない
ただひたすら
一字一句すくいとっては編むことに没頭している
でも、詩を読むことも
たいせつなしごとなんだとおもう
ふしぎなことに
詩を編む力と、詩を読む力はひとしいから
読む力をおろそかにはできない
もうひとつ、読まなければいけない理由は
このわたしを超えていくものに
出逢いたいからだとおもう
詩歌に物差しはない
このわたしを超えていったものとの
距離をはかる物差しは
わたし自身なんだとおもう
なんとも心細いはなしだけどしかたがない
おのれを信じるしかない
だから、詩人も、歌人もがんこ者ばかりなんだ
とおい昔、赤毛の仔犬をもらってきた
わが家に詩人はふたりいらないから
おまえは歌人になれといいつけて
も吉と名づけた
もちろん、犬が歌を詠むわけではないけれど
も吉とふたりして編んだ十五年分の詩歌は
いまも、おまえの体温をたもちつづけて
裸のままでしか生きられないわたしを
温めていてくれる
詩人と、歌人の関係は
たがいに物いわぬひとなのだとおもう
それは
ひとと、犬であったり
猫と、ひとであったりしながら
夜になればおなじ寝床に帰りついて
においを嗅ぎあい、肌をすりあわせて
たがいの体温をわけあって眠るかもしれない
そうして
朝をむかえることができたら
詩心なんてどこにもなくて
肌をよせて眠るあなたがいるだけなんだと
気づくはず
短歌であっても
詩であっても
ときには、おさな子のいたずらがきであったり
萌え尽きたおち葉の葉脈であっても
このわたしを超えていくものがなければ
たとえ、明日がこようとも
まあたらしい詩を編むことはできないだろう
それがなんであっても
どんなに離されたとしても
その距離をはかる物差しは
わたし自身、なのだから
[孤独]なんていう、都合のいい尺度はすてて
ちょっぴりくやしい想いをあじわったら
あとはもう
お風呂にはいって寝てしまえばいい
いつかきっと、追いつける日がくるから
さよならを育てるように恋をして
それでもいいと言いきるいのち
ほら、またひとつ
このわたしを超えていく恋がある