白象のいた港(掌編小説)
そらの珊瑚
ここは武蔵の国、横浜村。
黒船が来航してから、港が開かれ、もとは、ただの貧しい漁村が、外国の船が行き交う活気ある港になった。
昼間、騒々しい音が絶えることなはなく、外国の香辛料の香りが橋桁に染み付き、異人さんが話す外国語が潮風の友のように聞こえてくる、そんな港。
港の朝は早い。ふんどし一丁の人夫たちが、船の積荷をトロッコに載せる。ガラガラと大きな音をたてて滑車が行き交う。転車場では、ガチャンと鉄がぶつかり合う。人夫はぎりぎりのスピードを保ってどれだけ早く荷物を運べるかを競い合っている。
その中でもピカイチの仕事をするのは、新さんだった。僕はその相棒。
長い鼻を持つ白象。長い鼻で沖合いの船から、荷物をトロッコへ降ろす。
それが僕の役目。世界広しといえども、象が働く港はここくらいのものだろう。
昼前にはもうお腹がぺこぺこだ。
そろそろ、待ち人が現れるころ。
「新さーん、白象ちゃん、お昼持ってきたわよ」
砂埃の舞うじゃり道の向こうでお絹ちゃんが手を振っている。今年共に十五を数える二人は幼ななじみだった。
ぼくもにぎりめしをおすそ分けしてもらうんだ。今日は梅干しか。うへっ酸っぱいや。
僕らがにぎりめしにがっついている間、お絹ちゃんはいつもの小さな箱をたもとから取り出し、ぜんまいを巻いている。それから耳へ押し当てて、音を聴く。
なんでも「おるげる」とかいう南蛮渡来のものらしい。それはお絹ちゃんの宝物で、きれいな音が詰まってる箱なんだ。
僕も時々耳にあてがってもらうけど、この世のものとは思えないようなきらきらした音だった。
広い海をはるばる越えてやってきた不思議な木箱。
白蝶貝の細工のついた美しいふた。
そういえば、僕が生まれたのもこの海の向こうらしい。僕も南蛮渡来っていうことだね。
ある日のこと。
しばらく姿を見せないと思っていたお絹ちゃんが、浮かない顔で現れた。どうやら、縁談の話が進んでいるらしい。
お絹ちゃんの家は代々この横浜村の名主で、ペリーも挨拶に訪れたという家柄。貧乏漁師の倅の新さんとは、どうやっても釣り合わない。
「新さんと結ばれないなら、いっそこの港に身を沈めてしまいたい」
お絹ちゃんは、泣いていた。僕はなんとかしてあげたくなった。
そうだ! 明日、シャムに向かって出港する貿易船がある。あれに乗って外国へ行くっていうのはどうだろう。密航は大罪。けれど二人は決心した。ぼくの長い鼻を長い滑り台のようにして、沖合いの船へ二人はたどりついた。
翌日の朝、出港の汽笛が鳴り響く。
「ありがとう、白象」
「元気でね。シャムでぼくの仲間に会ったらよろしく伝えてね」
白象は、神の使いと呼ばれていて、僕はシャムにいた頃、王子さまを背中に乗せて、寺院の美しい庭を散歩したものだった。
二人が日本の地を再び踏むことはなかった。
二人のことを思い出すと、なぜだか、あの「おるげる」の音が聴こえてくるんだ。夢のようにきれいな音がね。あの「おるげる」お絹ちゃんは持っていったのだろうか。そして遠いシャムの地で耳に押し当て、その音を二人して聴いているだろうか。
ぼくはそれからも、この港で天寿を全うするまで働いた。
ぼくの長い鼻は今では堤防となり、「象の鼻公園」と呼ばれている。横浜に行くことがあったら、是非遊びに来てね。 別名はつこひ港だよ。
おわり
※このお話はフィクションですが、横浜に象の鼻公園は実在します。
※その後、関東大震災でこの辺は瓦礫の山となったそうです。
その瓦礫を埋め立て、土をかけて造成し、山下公園が出来たそうです。
瓦礫の上に立つ公園。
大災害から見事に復興した象徴、といえるのではないか、そんな風に思います。