路地
はるな
ものすごく寒い夜だった、骨が凍って砕けそうに寒くて、おまけに雨が降り出していた。うすっぺらいブーツの中で足指がかじかんでもともと覚束ない足取りをさらに不自由にした。わたしはこごえて、空腹で、目がよく見えなかった。夜で暗かったしどこかにレンズを落としてきてしまったし、物事は奇妙に入り組んでいた。それはちょうど知らない古いまちなみの路地のようなもので、そこに住まう人々には何の障害にもならないが、でもわたしは異邦人だから。よく見えなかった。とにかくそれでも歩き続けた、走りたかったけど足が動かなかった。上下運動、かじかむ手と手を合わせてみても一向に温まらず、吐きかけた息の温みも手のひらまでの距離に堪えられず散る。海の匂いがするはずだった。このまま行けばそう遠くないところで海へぶつかるはずで、そうであるならすでに海の匂いがするはずだった。でもしなかった、あまりにも寒くて、寒くて、匂いまで凍り付いてしまったみたいだ。雨が降っているのに空気は鈴が鳴るようにからからと渇いていた。雨じたいも、不思議なことに渇いているように感じられた。こまかく、するどく、かなしい雨だ。海の匂いがするはずだった―鼻をすませてみる―海の匂いがするはずだった。そしてまつ毛のあたりでそのするどい雨粒を受けたときにやっと気付いた、わたしはずい分長いこと考えているのだと。もう思い出せないくらいに昔から考えている―だからこんなに寒い場所まで来てしまった―わたしはかつてもっと明るい草原を歩いていた、濡れ濡れした雨のふるような草原をだ。路地は、しかし導くように続いている。少しずつ角度をつけてひっそりとわたしを誘い続ける。道はますます細く、暗く、なってゆき、選択が減ってゆく、それはわたしが待ち望んだことだ、曲がる、判断を、する間もなく路地が、いきもののように、からからと渇き、雨を食べ続ける、路地、で、ふとガソリンの匂いがした、海の匂いがするはずだった―しかし、よく見えなくなった目をおさえながら、かじかむ足指を引きずって、だんだんとガソリンの匂いの濃くなるほうへ、路地へ導かれて進んでゆく。