幕
まーつん
目玉焼きに魚、ご飯に味噌汁。朝食のような昼食を食べて、僕は満腹だ。
それで今は、少し動きづらいので、大掃除も買い物も後回しにして、キーを叩いている。なんだか頭が重い。土星のように重い。乱気流が縞模様を作って、渦巻いてる感じだ。そして煙草の煙で出来た輪っかが、しつこく、この頭の赤道上空を、ぐるりと取り巻いて離れようとしない。
核心をつけば、今年は物足りなかった。大した金を稼いでいないし、大した夢を見ていないし、大した事もしていない。だけど、ものぐさなので、その物足りなさを抱えたまま、正月の間はこたつに潜り込んでいると思う。このへそ曲がりの猫は、髭を時々震わせながら、目を頑なにつむって、縁側の雪景色を視界から締め出し続けることだろう。そうして、ネズミたちが、街の通りを、川のような流れとなって練り歩く、猫たちの楽園を夢見続けるだろう。
今日は冬晴れ。僕は大人になりきれず、何かもやもやしている。靴下の穴が切ない。昼前に走りに出かけたときに、子供が一人、ゴミ捨て場の前にたたずんでいた。暮れの作業は終わり、年明けの四日までゴミ収集は中断する旨の張り紙が、錠前のかけられた入口に張られていた。「終わっちゃったね」と声をかけると、子供は「はい」と答えた。
小さな手にはごみの詰まったレジ袋を提げている。つるりとした顔に沈うつな表情を浮かべていた。十にも満たなそうな、小さな男の子だった。男の子はやり遂げたがる生き物なので、こんな些細な障害にも真剣に悔しがってしまうものなのかもしれない。
だけど、終わったのだ。
今年はもう終わり。
あとは袋の口を締めるように、
締めくくりの過程が数日分、残っているだけだ。
ある人々にとっては、燃えるゴミに出してしまいたいような、
別の人々にとっては、宝物蔵に収めておきたくなるような、
そんな、いまいましく、かけがえのない思い出を育んだ、
一年の幕が、おりようとしている。