遠雷
津久井駒彦
もう雷鳴しか聞こえない
僕は人混みの中で父親も母親も
兄弟も忘れてしまった
が
誰かの煙草の火が手に触れたときだけ少し
故郷のススキのザワメキを思い出したり
している
雑踏は温かくて無音なのでとてもよく
遠くの音が聞こえる
耳を澄ませるまでもなく
どこかとても高い山に登ったとき
の
ように
もう長い間雷鳴しか聞こえない
短さは罪だと風の噂に聞いたので
出来るだけ長く呼吸を続けるように努めた
が
禍はたいてい息を吐き切ったときに
やってくるもの
危機をやりすごしてそれ以外のときは
永遠に生きるような心持ち
で
いる
雷鳴しか聞こえない
とぎれと
ぎれ
に
雷鳴だけが聞こえている
僕は待っているのだが
あの低く垂れこめた質感が
全ての都市を破壊しながら
こちらに進軍して来るのを
そのときこの温かい雑踏は
どんなふうに散り散りになるだろう
どんなふうに愛が敗北し
勇気が挫折し
希望が絶たれるのだろうか
あなたには聞こえないのか
僕にはもう雷鳴しか聞こえていない
ああ来るぞ
日常が
やって来る
僕は雷鳴だけを聞いている