詩を書くことの壁
番田
詩を書いていると、つまらないような感覚に襲われることはよくある。ひとりでぼんやりと絵を描いていても、眠気を感じることが良くあるように、すべては、きっとくだらない行為なのかもしれない。我々が行おうとしていることは、いつも、暗い無関心に満ちている。今日もいつものように、私が会社の中で感じたのは、あらゆる物事には線が引かれているのだということだ。我々は、自由なようでいて、実は暗い檻の中に閉じこめられている。あらゆる物事を、それはつまらなくさせることだろう。このサイトの中におけるポイント制度であっても、同じような現象のひとつなのだと私には理解することができる。
中学生の頃、私は暇があってはノートの中に詩をひっそりと綴っていたものだ。そういった行為は、このサイトの存在をうかがい知るまでは、私にとっての最良の楽しみの一つだったのだと思わざるを得ない。このサイトの存在を知ることによって、そういった行為自体の意味が無かったように思わされるのが悲しい。しかし、詩は周りの人からのポイントや、誰かに理解されることよって完成されるような馬鹿げたものではなかったはずだ。詩は、精神異常者やクラスのおとなしい人にとっての心の泉のようなものであるべきなのだと私はいつも信じている。決して観客からの拍手によって成り立つ日本文化のような代物ではないはずなのだ。