3:00AM
はるな



この問いは答えでできている、この答えは問いになっている。あらゆる嘘は事実の隣にしか存在することができない。わたしは何かを探そうとしている、ただしいものを探そうとしている。傾いた夜、かわいた秒針、やわらかい思想にめりこんだ指針、存在するのかどうかあやふやな、そんなところにあるんではないかと思う、そういうものを探している。ただしさはたぶん正しい場所には無い、そんな気がする、眠るあなたの額、爪の伸びる速度、産み落とされる赤ん坊が子宮に思いを馳せるように、すでに失われたものとして、ただしさに焦がれている。それは憧憬?

この問いは答えでできている。

物事をひとつの地平で語ることはもう難しくなってしまった、人々は問題を抱えすぎているし、多くの人々は自分自身の問題さえ把握していない―把握しようとしていない。問題を抱えることはあまりにも普通のことになりすぎた、人々は「解決」を古めかしい慣習のひとつとして扱いはじめている。
しかしそれでもわたしたちは語り始めなければならない。言葉を得たなら、言葉を得たいなら、わたしたちは語り始めなければならない。あるべき問いを見つけ出さなければならない。それは当然横たえられているのだ。わたしたちは語らなければならない。このままではいつか言葉はほんとうに記号になってしまう―それは、わたしたちが記号化することに他ならない。言葉は、本来、たましいだ。重たく、つらいものだ。受け止めきれぬほどの。わたしたちは、言葉から自分たちの身を守らねばならなかった、でもわたしたちは弱かった、あまりに弱かった―だから―あるときふと気付いてしまったのだ。重たい鎧を重ねるよりも、言葉を弱めることにしたのだ。それは当然のことだった。人々は増えていった、文字は増えていった、言葉も増えていった、処理しきれなくなった、工夫した、それは、当然のことだったのだ。
考えることだ。わたしたちに唯一残る心強い武器は、考えることだ。そうやって切り抜けてきたでしょう?考えることだ。失われたものを取り戻すことは可能なのだろうか?喪失は、永遠だ。しかし永遠は存在しない。永遠が終わる場面を、何度も見てきた。誰だってそうだろう、知っているだろう、永遠は短すぎる。だから永遠という言葉があるのだ。考えることだ・・わたしたちはもっと考えなければならないし、学ばなければならない。そして、感じなければいけない。信じなければいけない。

それでも探し続けなければならない。

わたしたちは実は知っている、多くの物事は過ぎ去った時間のなかにのみ安定して存在することができる。それはひとつの真実だ、揺るぎようの無い。しかし忘れてはならないのは、時間が進行しているということだ。多くの時間は進行している。物事は起こり続けている。失われ続けている、ということはつまり、存在し続けている、ということでもあるのだが、存在し続けている、ということを考えると、わたしたちはたちまち押しつぶされてしまう。忘れがちなのだ。わたしたちはあまりに謙虚で、貪欲すぎる。物事をひとつの地平で語れなくなってしまったのもそのせいだ。わたしたちは、わたしたちをもっとよく理解しようとしなければならない。いったいどうしてわたしたちはそれを理解しているつもりになってしまったのだろう?臆病さは、たぶん、与えられた贈り物だ。どうしたって振り返り振り返り立ち止まってしまうことも。わたしたちは最後に、自分に警告を与えることができる。それに気付かなければならない。すべては暗喩にみちていると、とらえることもできる、しかし、言葉は、記号ではないのだ。まだ。

さて、この問いは、答えでできているだろうか?

わたしは何かを探している、たぶん複数のものを探している。ひとつを見つけ出せば、あとのものはかんたんに見つけ出せるだろう。わたしが欲しているものは、どれも少しずつどこかで結びついているはずだから。敏感にいなければならない。自分自身の問題を把握しなければならない。わたしは、わたしの問題は見つけ出し、あなたに語り掛けなければならない。わたしとあなたの問題の類似点について、あるいは相反する点について。わたしはあなたたちと語り明かさねばならない。言葉がここまで来てしまったからには、ひどく時間がかかるだろう。しかし、やらなければならない。問題を放棄してはいけない。物事は、いつも、起こり続けているのだ。



散文(批評随筆小説等) 3:00AM Copyright はるな 2011-12-06 03:03:55
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