ゼブラの思い出
salco

酒乱のゼブラは
いつも酩酊で店に来た
五十五歳
痩身で長身、顔は土気色
ギトギトの黒髪と銀ぶち眼鏡
三白眼が据わっている

「やらせなさい」
「無礼者、下がれ!」
初めて怒鳴られた時にはびっくりして
化粧室で泣いているとママが
あの人はいつも、誰にでもああなのよ
ほんと困っちゃうわ、ごめんなさいね
と慰めてくれた
出入り禁止にはしないのだ
お客達も慣れたもので
胴間声を不快がる素振りもない
目に余れば当人にお帰り頂くまでだった

ゼブラはとあるボールペン会社の常務で
この酒ぐせの為に出世がストップしたらしい
会社に多大なる貢献をして来
部下にも見限られたのか
飲む時ぐらい独りがいいのか
連れを伴う事はない

一度だけ、口あけにシラフで来た
ツケを清算しにだ
顔色が蒼く、静かな語り口で
紳士どころか、瞬きも涼しく含羞があり
過度の飲酒はこの辺に因を発するらしかった
カウンターの一隅で
いつもの二合徳利を二本、三本と空ける内
内なる山月記に変貌して行った
顔がいつもの色になっていて、寡黙になる
目が据わり、反応が絶える
やがてクダが回り始める

「注ぎなさい」
「メイゴッドブレスユー」
「うちのバアさんがやりたがって仕方ない」
「風呂で指(中指)を使え、指を使えと…」
「小田急の百合ヶ丘の手前に、イク田という駅があって
 またバアさんの液がひどく多い」
「困った事にはバアさんのアソコというのがユルいので…」
「黙りなさい」
「うるさい!」
「やらせなさい」
「いいからやらせなさい」
「けしからん!」
「無礼者、下がれ!」
「わしの言う事がワ、カ、ラ、ンのか!」
「うちのバアさんが大体…」

こうなると相応に
徳利の中身を調整してあげる
水正宗は肝臓にも胆嚢にも良い
どうせ味覚は断線している
もちろん伝票にカウントする
五本、六本、七本
やがて虎にも麻酔作用が効いて来る
もはや言語中枢も痺れて乱れようがない
高村光雲の「老猿」モーロー篇
それでも潮時はわかっていて
タクシーを呼ばせるか、蛇行の体で帰る

一度、そんなゼブラを
終電間際の急行から見た
線路二本を隔て
地下ホームからほぼ同時に出た各駅停車も
立っている乗客がいるほどだったが
斜めに伸びて据わっている周囲は
見事にがらんと空いていた

ゼブラがこよなくぼやくバアさん
奥様がまた偉い人で
スられたり落としたりで財布を失くすたび
買い置きに一万円だけ入れて渡すのだと聞いた
ゼブラも、仕事の話はひと言もしなかった
愚痴さえ、ただの一度もだ


自由詩 ゼブラの思い出 Copyright salco 2011-12-06 00:10:20
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