濡れた土地
長押 新


OTOKO
この奪われた町には、もう本当になにも残っていないのさ。ああ、巷ではそれをサードインパクト、学者の連中はね、シンだって噂している。もし、悲しみや喜びが、実際にいるって言うなら信じるよ。政府はまだ、何も発表していないんだからね。ただなんだ、私にはただの地震と津波に思えるがね。私の田園は、今じゃ安置所になってしまったんだから。顔の膨れた死体ばかりが収穫出来るというわけだ。殊更、今のは消費者には内密に頼むよ。女房だって、膨れた死体になったのだから、それくらいの言い回しは許されるべきだと思うけどね。それで、私のような老いぼれに何の用があって話を聞いているんだ。この死に損ないの、ポンコツにお前のような若者が何を言いたいのだ。

KIBOU
実のところ、話したいことも聞きたいことも、私は持っていないのです。私は悲劇の中で産み落とされ、このように、農道で震えていました。すると、老いぼれ/死に損ない/ポンコツのあなたが現れて、あなたの視点から、再び悲しみを受けることになったのです。私は、あなたの話を聞くだけの耳を持っていながら、私の悲しみのほか何も知りませんでした。すると、この奪われた町には、たくさんの悲しみがあるわけですね。あなたは、私に顔が似ています。もはや、私はあなたの悲しみを聞かなければなりません。どうか、この町の酷い有様を、お聞かせ下さい。そうして、私の耳を満たしてください。

OTOKO
まあなんだ、私は博識とは言わないが、煙草を吹かすのさえ、躊躇わなければならなくなった町だよ、口を持つものは誰だって、今では知識人さ。全く以て私の目は正しいね。あすこの男は妻と娘、それから実の両親を失ったのさ。こんな死に方じゃあ、男の愛は切れ切れに縛られているだろうよ。見ろよ、あの縛りあげられて歪んだ顔を。私の目に焼き付いてしまって、お前の顔を見ている時も、あの男の顔が浮かぶよ。男は、本当の意味で一人きりさ。私の女房は、嗚呼、本当に、あれでよっぽど良い方なのさ。これが、天罰だってラジオでやっていたよ。聞いたかね?この町は天罰にあっちまったのさ。天罰に奪われちまうなんて、生きている間に神の裁きを目にすることになるとは、思いもよらなかったよ。人間が、神の法を破ったのと同じように、神は人間の法を破っちまった。お前、やっぱりあすこの男に顔が似ているな。

KIBOU
嗚呼、神が人間の法を御破りになられたなんて。誰が、神を、見たのでしょう。私は、産み落とされてから、今朝になってやっと目を開いたために、本当に一つとして、悲しみの行方を知りませんでした。

OTOKO
君は、産声をあげたのかね?あの天使のような声を。私はあれがもう一度聞きたいよ。私には嫁いで行った娘が一人いる。生きているのかいないのか、携帯も繋がらないのだから、分からないのさ。お前はなんだって、こんな中産まれたんだね。それもこんなところで一人ぽっちで。

KIBOU
いいえ、産声はあげませんでした。私は、希望ですから、あっという間に産み落とされていたのです。それでも、一人ではなく、父も母も在ったのです。その方がうんと自然じゃありませんか。

OTOKO
お前が何だって?

KIBOU
希望ですよ、希望。私は、あなたのような老いぼれが悲しみのうちに死んでしまわないように産み落とされたのです。皮肉にも、津波によって、このように、ここにいるのです。私は昨夜、産まれたばかりなのです。産み落とされたばかりなのです。

OTOKO
たまげたね。君のような痩せっぽちな男が希望なんて。神は何か間違ったんだろう、いや、しかし待て、君が希望となると、君はなんて幸運なのだ。それから私は、幸せ者だ。希望と、つまり君の事だが、話をしているだなんて。君が、希望で本当にうれしいよ。なんせ、ここは見たまんまの奪われた町だからね。君が、希望と言うのなら、話はだいぶ変わってくるよ、政府より信頼が置ける。まあ、痩せっぽちで背も低いが気にするな。さあさあ、握手だ、歓迎するよ。なあに、私は、君が生まれるずっと前から生きているんだ、つまり希望よりも。

KIBOU
ええ、握手しましょう。

OTOKO
それで、君の母上はどこに居るんだ?希望の母上とやらに、私はひざまついて挨拶がしたいよ。平伏して、救いを請いたい。是非、君の母上に合わせてくれ。君の母上に、希望の母に会わせてくれ。それが出来たら、死んだ女房も生き返るだろうから。

KIBOU
いいえ、それは出来ません。死んだ人間は、生き返りません。生命は、そういうものですから。私に涙を止める術はないのです。どうか、泣いてください。私には、あなたの家が瓦礫と呼ばれる事さえ、止められないのですから。母は、私を子宮から追い出したのです。悲しみが、私を産み落としたのです。母なる海がこのように、恐ろしい惨劇を、再びこの地に与え、父なる人々が、私を呼んでおられたのです。あなたは、私の父です。お父さん、私があなたの望むことを致しましょう。この土地を乾かしましょう。あそこにいる女も、奥の男も、希望なんですよ。

OTOKO
なんだって一体!希望なる君の母が、海だというのか。なんと恐ろしい!なんと忌々しい!だがしかし君、私を父と呼ぶ君を見捨てまい。私は生命を知っていたのだ。私は君の、つまり希望の父なのだ。希望とはなんて、親孝行なのだろう。それで、君は今からどうするんだね?

KIBOU
まずは役場に行かねばなりませんね。



自由詩 濡れた土地 Copyright 長押 新 2011-12-01 16:52:23
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