彫師になりたい
榊 慧

俺がなんで高校進学っていうものに十五歳の時に耐えられたかというと「TATOO」があったからである。人なんていなかったし詩なんてもっと無意味だった。みなさんみたく。

中三の三学期に試験勉強は一切せず俺はサドに夢中でサドについてレポートを書いていた。高校は工業高校に行きたかったが周囲の流れでなんとなく適当な進学校を受けた。(のち、受かった。これが失敗。)
お金なんて無かったけれども千六百円する雑誌を買ったりしていた。刺青、TATOO、ピアスには興味は無かった。当時は絶対にピアスは嫌だったけど今はどっちでもいい。どっちでもない。

俺はクラスメイトっていうより学年、学校から完全に外れたところにいたので俺が刺青とかTATOOが好きなんだっていうのは別に誰も知らなかった。サドは少し見せた。
適当に進学してしまった高校では刺青が好きっていうので美術部に入ってデッサンを少ししていた。少しっていうのは、在学期間が長くなかったから。教科書と一緒にTATOO誌を持っていった。中学の時は学校に雑誌を持っていくのが禁止だったのでそれを守っていた。今思ってもどのときも俺は優等生だった。校則を守っていたんじゃなくて破るのが面倒なだけの真面目に見える奴であった。
彫師になりたかった。

実は明日から閉鎖病棟に入院することになってその前夜に動画サイトでつい最近友人に教えてもらったBlankey Jet Cityを聴いていたのでありますがそんでさっき本屋に行って何カ月かぶりにTATOO誌を買ってきたのでこんな散文かいてみてる。
刺青が好きなのである。
特に和彫りが好き。
無関係だけどあしたから俺が入院っていうのでなんでか俺に説得・説教・いびり・親父の悪口罵声を二人きりでよくあることとは言え密室で二時間してきた祖母を耐えた、褒めて。

俺は元アームカッター(リストカット的な)なのですが刺青が好きなのは自傷的なところからでは決してない。証拠に、自傷するよりずっと先に刺青が好きだった。
俺は「俺は病気(精神的な、メンタル的な)なんです。」っていうアピールがそもそもは好きではないし(じゃあなんであんな散文とか書いたんだろう)、「私メンタル弱いの」っていうのは大嫌いです。じゃあ弱ってたら?としか言えない。自分にもそういう面がある可能性を完全に否定できないから嫌ってるのかはわかりません。個人の意見です。

みんな無形のもの(ex.愛)が好きなんだなっていうのがあって精神も無形のものだからみんな俺も俺だって固執してしまうのかと思った。精神なんてなくてもいいものなんだよだって無形なんだから。見えないもの同等無形のもの。より正確には「目には見えないもの」がみんな好きなものです。個人の意見だけど。
ジェット機と心どっちが大切ですかって訊いたらみんな「心」って言う。俺はジェット機が好きです。大切なものは知りません。で、通す。

刺青は目に見えるものでだから好きってわけじゃないけど目に見えてなかったら俺は好きになることもなかった多分。

悪いことなんてしたことがない。

だから俺が成人して刺青をいれたとしても何にも問題はないのは言うまでもなく、何が言いたかったんだっけ、
俺は気ちがいであろうと正常です。ちがうな。


散文(批評随筆小説等) 彫師になりたい Copyright 榊 慧 2011-11-23 22:20:51
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