そのままの君でいて
水花
詩を書いていた、なんて、たいそうなことではない。
詩とも散文ともつかないような、落書きだった。
砂木さんは私を挫折した人だと書いて、確かに私もそういう気持ちだった。
しかし今思えば、挫折、なんて、それもまた、そんなたいそうなものではなかったと思う。
自分自身、いったい何をどうして挫折と思ったのか
ただまわりはキラキラと輝き、そのキラキラの粉が私を憂鬱にさせていた
そんな時期だったのだと、そんな年齢だったのだと、今ならわかる。
否が応でも私は大人になり、言葉は消えていった。
ついでに、私にはキラキラの粉が見えなくなっていた。
それはあの日、確実に来ると信じて疑わなかった未来に
今、私が立っているからなのだと思う。
そして、その未来とは全然キラキラなどしておらず
相も変わらず、憂鬱なのだ。
あの頃の私と違うのは
ただ私は言葉が好き、だと気づいたこと。
膨大な数の言葉が私を傷つけ、同じくらい確実に救った。
ただそれだけの事実が、私を言葉に向かわせる。
私の発した言葉で、誰かが何かを感じてくれればいいなと思う。
たいそうなことじゃない。
ただ、人の心のどこかに触れることができる人でありたいと思う。
私を傷つけ救った言葉と同じくらい、誰かの心に届く言葉を書きたいと思う。
少しの期待と、大きな傲慢を自覚しつつ。
さて、これは散文なのでしょうか?
使い方すらわからない私に、誰か救いの手を。