海の上のベッド(連作集6)
光冨郁也

 点滴を打たれながら、病室の窓から海を眺めていた。看護師が言うには、わたしは雪の降り積もる中、マーメイド海岸でひとり倒れていたらしい。音もなく波が白くよせている。意識が戻って二日たった。熱が下がらない。
(わたしはどうしてここにいるのだろう)
頭が痛い。片手をつかい、ティッシュで鼻をかむ。丸めたティッシュをゴミ箱に捨てたら、外れた。視線を落とすと、床が水で濡れていた。二人部屋の隣のベッドは空いている。その隣のベッドの下まで水がきている。どうして。点滴は半分になっている。そばの台の、TVの横に装置がついていて、カードを差し込むようになっている。残り時間の少ないカード。することがなく、TVをつける。イヤホンをつける。
 ワイドショーのニュースが放送されている。ずっと眺める。評論家が何かコメントしている途中でCMにはいった。
 紺色の海。空は曇っている。ひとりの青年が海岸を歩いている。マーメイドが姿を現わす。〈マーメイド海岸〉の文字と音声。
 TVのカードの残り時間が切れた。電源の切れた暗い画面に、自分と背後の窓が映る。たわむ色のない世界。物音しない病室。点滴はもう液がなくなりかけている。そろそろ看護師が来るころだろう。二の腕にさしている点滴のチューブを見つめる。透明な液がわたしに流れている。
 何かの気配があったような気がした。イヤホンを外す。TVとは反対の窓のほうを見る。
 女がベッドのわきにいた。動きがとれない。女は長い爪でシーツをつかんでいる。女は手をのばし、わたしの自由のほうの二の腕をなでる。女の手は濡れて冷たい。女は顔を近づける。緑色の瞳がわたしをとらえる。しばらく見つめ合った。キレイだ。海の底、深く透明な色をしている。女は、
 ノックとともにドアが開く。看護師が点滴を片づけに来た。熱をはかるよう体温計をわたされた。体温計を受け取り、脇にはさむ。時間に追われる看護師が退室する。白衣の後ろ姿、閉まるドア。TVの暗い画面に映る、わたしと女。女のほうに首を曲げる。女の肩口から、大きな尾びれがゆっくりと上がる。床に海水が満ちてきて、波打っている。ベッドの周りは海だ。紺色の海。電子体温計が鳴る。空気が冷えてくる。室内に小雪が降り始めた。寒い。女は、体温を求めるように、指をからめてきた。女の髪がわたしの頬にかかる。緑色の瞳。被さる女。唇がふさがれる。震える。静かに、電子体温計が海に落ちた。

 海の上のベッド。もうすぐわたしは、女に海の底へとひきずりこまれる。海の中は思ったよりあたたかい。



自由詩 海の上のベッド(連作集6) Copyright 光冨郁也 2004-11-22 19:42:14
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