ある家族
さすらいのまーつん
君は優しい家庭に 育ったんだな
パステルカラーの思い出を いとおしげに語る その口元
少し気の早い 白のコートの襟の上で結ばれた サクランボのような微笑み
夕暮れの向こうから忍び寄ってきた寒さに 肩をすくめるふりをして
俺は缶コーヒーのふたを開けた
君の目から それとなく視線を逸らしながら
俺の家庭にも 笑いはあった
それは長く続く嵐の季節に 時おり覗く 晴れ間のようなものだった
暗い雲の谷間にひらめく雷鳴のような 親父の怒鳴り声
死ぬまで俺の鼓膜から 剥がれ落ちることはないだろう
絨毯にカビが生えるほど流された お袋の涙も
この瞼の裏に 焼きついている
俺の家は貧しかった
親父はいつも不機嫌な熊のように 家の中をうろついていた
そう、火山のような男だった
俺と姉貴は、そのふもとに暮らす 脅えたヘンゼルとグレーテル
いつも空想の森の中に 二人して手を取り合って 迷い込んでいったっけ
たとえ道しるべは残していかなくても
最後は何とか現実の世界に 帰ってきたもんさ
なにしろ お袋は 馬車馬のように働いていたし
借金は 山のようにあった
わがままは 言えなかったんだ
ニルヴァーナの歌詞じゃないが 彼女の心もある意味では
毎晩少しずつ 死んでいったのではないだろうか
俺は憎むことを知った
まだ一桁の歳だった
だが親父は あまりにも手ごわかった
背丈を追い越し 見下ろすようになった今も
この年老いた看守に 勝ったとはいえない
なぜなら俺は今でも 彼を恐れているから
そして傷跡だけが 残った
憎しみとは 癌のようなものだ
俺は最初 嬉々としてその黒い薔薇を 胸の奥にある 暗い庭園に育てていた
それがどれほど危険なことかなんて まるで分かっちゃいなかった
心を強くしてくれると 信じていたんだ
だがそれは結局のところ 無力な自分についた 惨めな嘘でしかなかった
憎しみは俺の心を 逞しくはしなかった 引き裂いただけだ
後悔しても 後の祭りさ
友情をはねつけ 孤独を求めて
笑ってるときでさえ 悲しかった
親父の前で両腕を広げて 二人の子供を守り続けたお袋
そんな彼女にぶら下がって生きていくことに 小さな心は痛んだ
愛と依存の違いが 分からなくなった
沈んでいく船に 差し伸べられる手はなかった
そしてお袋は 出て行ってしまった
だが何があろうと 時間は流れていく
死んだ魚のような目をして ドブの中を漂っていたはずの俺が
いつの間にか君と こんなところにいた
イチョウの枯葉が舞い始めた 白い石畳の並木道に
幸せそうな親子を見て ほのぼの出来る様になったのは
つい最近の事だ
そんな自分を 好ましく思っている
美しいものを見て 温かくなること
俺はやっと人間に 戻ろうとしているのかもしれない