野良猫あるいはルンペン(全)
……とある蛙

岬の突端にある一本杉
その根元には猫の額ほどの草原が
崖下に望める港町は
なだらかな坂のある町で
火の見櫓以外高い建物もなく
斜面にへばりついた小さな
小さな灰色の箱の集落

漁船が停泊している。
船着場には漁船以外何もなく
漁師町であることが
瞬時に分かる

猫の家族
母猫と三匹の子猫
眼もよく見えない子猫たち
その家族を狙う鴉
ミューミュー鳴く三つの口

草むらに潜む蛙を見つけ
子猫は狩りをしようと
低い姿勢で獲物に狙いを付け
尻尾でリズムを取り
間合いを計っている。

その上空に鴉
飛びつこうとした週間
鴉ではなく鳶が子猫を突く(つつく)
一頻り(ヒトしきり)の騒ぎの後突然


この母猫は子猫を二匹以上育てるのは
うまくない
それこそ大変だ

母猫は意を決して
岬を下る
子猫のうち一匹だけを咥えて




そいつは僕の眼をじっと見つめ
/媚を売るでも無く
/何か一言言って僕の歩く先を
先回りしてしっぽを立ててステップを踏む
/石畳の路地は濡れて光っており
/黄色く彩色された建物の壁面に囲まれ、
路地は少し進行方向に傾斜した坂道
/港に向かって下りて行く
/突然開ける視界の明るさ
眩い光のシャワーの中
/朝の港に接岸する
漁猟から帰投の漁船数隻
/頭上を舞う鴉数十羽
/僕を道案内した黒い肉食獣は
/鰯を漁師から数匹貰い
/わしゃわしゃ食らいつく
/岬に望む緑の崖
/崖に鳶がヒューヒュウルル
/小さな黒いそいつは鰯を食い終わり
/そっとこちらを一瞥し
舌なめずりをしたままま
/そのまま路地へまた消えた。


ここは港町の浜辺に面した食堂。
浜辺の見える出窓に置かれた
古ボケた大きなラジオから
流れる昔のエレジィは
淋しく悲しい旋律で
波止場につながる道沿いを
黒いショールに包まれた
港のおカマの頭上舞う
大きな群れの鴉たち
岬の崖に鳶一羽
鴉を避けて何狙う。
浜辺の片隅 イワシ食う
猫の丸めた背の上で
じっと浮かんで隙ねらう。

ついに自由な筈の鴎たち
漁港の空は鴉だけ
ついに鴎は消えるのか
それとも北に飛んだのか



ひょいと見ると出窓の内側で
そいつはいつものように
出窓に置いてある
真空管式の古いラジオに
じっと耳を傾ける
ビクターの犬のようだが
そいつは黒猫だ

出窓からは朝の港町の風景が広がり
開け放った窓からは
潮風と鮮魚と干物の交ざった匂いが
ゆっくりと吹き込む
その部屋の主人は
七枚重ねのスカートを履いたマリア
陽気な彼女は踊るように洗濯物を干す
もちろん亭主は漁師だ

しばらく出窓で微睡んでいた黒猫は
ひょいと窓からカンテラに飛び降り
そのまま港の繋留索のつながれたビットの上で
蜷局を巻いた。
鴉は猫を襲わない。
猫は鴉を無視する
微妙な無関係が港町を支配する。
どこの町も一緒の気怠さ



アンカーに係留されている大型船
岸壁の縁に並んでいるビット
その上に座り俺をじっと見ている猫は
俺を町中からここまで連れてきた。
俺は猫に話しかけた。
ポケットから取り出した小さな煮干し呉れてやって

どうしてここに連れて来たんだろう。
何もありゃしない。
俺はこの街に流れて来たが、今はルンペンだ。

さてどうしたものか

そいつは口を開いた。




ずっと以前からオレは、この港街の風景に溶け込み、適当に食い物を掻攫って生きてきた。人間と仲良くすることなどくだらないと思っていた。
 オレ猫が愛していたものは、気ままな昼寝と鰯の数匹、遊ぶための生きたネズミと眺めの良い高い場所だ。さらに他愛のないおもちゃやぎりぎりに丸まれるせまい袋等も好みだ。

オレは夢見ていた。
ライオンを、
草原を疾走するチーターを、
ジャングルに潜むジャガーを、
あらゆる猛獣の頂点に立つことを


そんなオレが気になる人間が一人だけいる。大した奴じゃない。流れ者の風来坊できったねぇ上着にぼろぼろのブーツを履いて、何やら仕事を探していた。それがおまえだ。
こういう奴から何かを発見するなんてことはありゃしないが。

そんなとき、オレは見えもしない色彩を小さな頭脳に感応した!  ― オレは鳴き声の反響の違いによって色が物体にあることを感応した。さらに、猫踊りだ。本能的なリズムとともに、いつの日か、あらゆる感覚をなきごえにしたいと思っている。

 まず初めは夜だ。オレは、夜の静けさの中で下品な犬どもの遠吠えと違う猫の囁くような鳴き声を風に聴かせた。風は答えてくれた。

  わかるぜぇ、胡散臭い音色

夜の街にはあの忌々しい鴉も、酔っぱらいを除けば偉偉そうにふんぞりかえっている人間もいない。
そこにあるのは港の中空に輝き海面に揺らめく満月だけだ。
あのビットの上でオレは月に向って小声で一吠えした。オレはもうミルクなんぞ呑んでいないぞ。

あの岬の突端の草ッ原で、オレは何が飲めたのか、
一本の松の拉げた老木は松脂しか無く押し黙り、草は海風で花もなく、いつも不安定な曇り空! ―
北の海は暗いだけで、オレがひょこひょこ歩いているのをずる賢い鴉がじっと狙って眺めていやがる。オレは母猫の腹に縋り付こうとしたが、母猫はそのうちどこぞへ消えていった。
何やら、やせ細ってふらふらしながら。

何を飲めたのか? 何もノミはしない。

突然雨が礫となって吹き上げてきた。

泣きながら、オレは空を見ていたが ― 飲めなかった。 ―
空きっ腹には何の足しにもならなかった。

オレは街に出たさ。
 街には子猫好きを自称する薄汚い娼婦がたくさんいて、オレに餌をたんまりくれる。オレは浮かれた。抱きしめられ頬ずりされそのうちリードでベッドにくくりつけられもした。

冗談ジャねぇ!!
オレは草原を疾走するチーターやジャングルに潜むジャガーを夢見ていたんでだ。だからオレは隙を見て野良猫になった。猫嫌いの親父に石ぶつけられたり、少し腹が減って、項垂れていると 鴉や鳶に狙われたり、浮浪者が寒さを凌ぐための道具としようと追いかけ回されたり。

たとえ食い物にこと欠いても
オレは満足していた。

だからお前 さもしい顔するなよ。


無表情な黒猫は
ぷいと横を向いて
どこぞへと消えていった。
天空には揺らめく満月
黒い水面に月は無い。




前の街で
俺は淫売宿のいかがわしい玄関口で
夕立に打たれて濡れながら歪んだ
恐ろしいほどの雷は
地上の何物かを鷲掴みにしようと
空から腕を突っ込むが
本当に一握りの無辜の生命を食い物にしただけで
暗くて分厚い雲の間を
後悔しながら唸っている
夕暮れの飛礫は
稲穂をすべての基準とする
この国のかつての住人には
有り難みのある贈与でしかない。

水はすべてを作り平らげる。
水は全てを恵み奪い去る。

俺は泣きながら、黄金の夢を見たが、
一向に夢を飲み干せずにいて
夏は朝四時から体中の汗で
もがきながら目覚め、
刺すような朝陽を窓から投げ入れる
夏の朝陽を呪いながら、
安宿の金も支払わずに
何時請求が来るかとビクビクしながら、
朝食の干涸らびたパン一切れを囓り
白湯でさえない匂いのするスープを啜る。

外では漁を終えた漁師たちが
水揚げ作業を威勢良く行っているが、
相変わらず俺は声をかけられずにいる
ちゃっかりあの猫は
漁師の一人に尻尾の根元を擦り寄せ
鰯を数匹せしめている。

俺は自分の食い扶持すら自分で稼がず
自尊心だけで、居住まいを正すこともなく
ペテン師のように負債を増やしている
ひっそりと、
漁師たちの笑顔の何と豪華なことか
陰惨な俺の心の裏側を見たら
彼らはきっと唾を吐きかけるだろう。

俺はそんな光景を見ながらでも
まだ理屈をこねて誰も振り向きもしない
美 とやらの講釈をしながら
豪華な食事にありつこうとする。
  この街に必要なのは寄生虫ではなく
  確かな博打うちの存在だけだ

酒を飲もう
杯を上げよう
乾杯しよう
おお、この偉大な日常に
不必要なペテン師の描く美か
北から迫る不気味な水の塊の晒される前に
少しの間、離れておくれ黒猫よ。

ペテン師の詭弁で詩が書けるものなら
俺は天空の留置施設で
何の弁護もなく
何日でも勾留されよう
違法であろうと違憲であろうと
この地上に生きるに必要な術すべは一切持っていない俺は
何日でも勾留されよう
そして、地上において持てる全ての詭弁で
詩を一篇書き上げるのだ。



  おれが歩き始めた港町
 鴎が去って、鴉だけがうようよいる
 古臭い歌しか唄わない詩人たちが
 古臭いことこそ正しいことだと
 言わんばかりにおれたちの居場所で寛いでいやがる。
 横柄な態度や失語症患者のような言葉には慣れたが、
 どうにもこうにもあの薄汚い形(なり)には何とかならないものかと
 
漁師たちは活発に水揚げ作業をこなし、
おれたちに数匹の鰯の分け前を与え
そして、
しょぼくれた奴らには目もくれず
快活に笑いながら、
十分肥えた愛する女房たちの待つ丘の上の家に帰る。
奴らの詭弁など彼らの耳には聞こえないばかりでなく
奴らの風体など目もくれな

何の!おれにはありありと見えていた、
服従する相手がいなくても、
守ってくれる者がいなくても
いつもビクビクしていたことを
本当は食い扶持が欲しいのだ
本当は肩書きが欲しいのだ
だれそれの下っ端という
くつろげる家庭が欲しいのだ


教会の代わりに工場を、
水産加工場のまわりに巣くう鴉を
それを撃滅するための太鼓を
魚を運ぶネコ車
港のまわりには魚を飯の種にしている
人、犬 猫 鴉
化け物どもがわんさかだ

 ただ食えれば良いだけではない。
 アップダウンの少しある散歩道
 思索するための日溜まり
 少し高さのある昼寝の場所
 顎を少しだけ撫でるあっさりとした猫好き

 さすがにここから東京スカイツリーは見えない。
 ありとあらゆる詭弁を使うのだが、
 詭弁に魔法はついて回らず、
 鴉どもとはそろそろおさらばしたい





俺はよそ者であって、厄介者であって
街の者からは
眼の中には存在していても
意識の中では存在しない幽霊だ。
野良猫はじっと俺を見ている。
大きな黒目で瞬膜は見えない。
その大きな黒目の中に
俺が襤褸を着て所在なく佇んでいる。




自由詩 野良猫あるいはルンペン(全) Copyright ……とある蛙 2011-10-02 14:10:15
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