W.K.第六回「宇多田ヒカル『ULTRA BLUE』〜青空に沈む」
たもつ

 W.K.六回目です。たまにはさらりと本文に入りましょう。いえ、べつにどろりと入ってもいいんですけどね。ぐだぐだと最初に書かずに行こうということです。いっそのことそちらの方が潔い、という趣がそこかしこに見えたりする今日この頃ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 ということで、さらりと本文に入ります。別にちょろりでもいいんですけどね。私は、先日、山梨県の小淵沢に遊びに行ってきました。夏休みをいただいて二泊(しかも三日)で行ったのですが(車で行ったのですが)、あいにくの雨ふりで(楽しみにしていたハイキングもできませんでした)。謎の( )はともかくとして、どうということのない近況報告でした。すいません、本文ですね。それでは W.K.六回目「宇多田ヒカル『ULTRA BLUE』〜青空に沈む」です。さらりと。

 まあ、名盤なんです、私の中では。宇多田ヒカルの「ULTRA BLUE」は。売れなかったんですけどね。
今更ながら宇多田ヒカルについて、どうこういう必要もないとは思いますがおさらいしてみます。
ご案内のとおり、ファースト・アルバムの「First Love」は売れに売れまくって、日本におけるアルバムの売上枚数ランキング歴代一位です。これは、当時ベスト盤を除くいわゆるオリジナルアルバムの一位であったglobeのモンスターアルバム「globe」を遥かに上回る売上となりました。ちなみに、セカンドアルバムの「Distance」も売れに売れまくり、ベスト盤を除くオリジナルアルバムでは、やはり「globe」を抜いて売上枚数歴代二位となっています。もう少し、数字の話をします。サードアルバムの「DEEP REVER」は「globe」には届かないものの、オリジナルアルバムでは歴代四位の売上枚数となっています。
 整理しますと、ベスト盤も含むアルバムの歴代売上枚数のランキングにおいて、日本の頂点に立つのが「First Love」。ベスト10の中に三枚のオリジナルアルバムが入っていて、かつ、オリジナルアルバムだけのランキングだけをみれば、ベスト5の中に三枚入っている。数字だけを見ても、如何に宇多田ヒカルが商業的に成功したか、ということがわかります。
 
 さて、以上を踏まえて、なのですが。
「ULTRA BLUE」は売れませんでした。五枚出しているオリジナルアルバムの中で、売上数が唯一、百万枚に達していません(ただし、日本レコード協会からはミリオン認定を受けています。これは認定基準が売上枚数ではなく出荷枚数によるものだと思われます)。確かに、2000年代に入って、極端に音楽業界は冬の時代となっており、アルバムの売上数も全体的にかなり落ちています(その中で2000年代に発売された「Distance」と「DEEP REVER」の売上は驚異的な数字なのです)。当然、2000年代も後半になればなるほど伸びません。
 したがって、2006年に発売された「ULTRA BLUE」が百万枚に達しなくとも、それは宇多田ヒカルというアーティスト個人の失敗とは言えないし、現に、当時のアルバムの売上チャートでは、初登場で一位も記録していることを鑑みれば、少なからずとも当時はそれなりに売れた、という評価も可能です。
 しかしながら、2008年に発売された五枚目のオリジナルアルバム「HEART STATION」が百万枚を超えていることを考えると、宇多田ヒカルというアーティストを軸にすれば、やはり売れなかった、という評価は妥当であるし、その売れなかった理由が音楽業界を取り巻く状況がすべて、とも言い難い感じがします。
 ここで、一枚のアルバムが売れなかった理由をいろいろと分析するのことは、所詮は憶測の域を超えないので割愛します。と思いましたが、何故私がこの「ULTRA BLUE」を名盤としているかを考えるときに、何か、やっぱりちょっと触れたい。一般論としてではなく、私個人の好みの問題として少し話をさせていただきます。
 正直な話、アルバム「First Love」を聴いて衝撃を受けた私にしてみれば、「Distance」も「DEEP REVER」も、何かちょっと違った。悪くはない。寧ろ、楽曲もテクニックも高度なものになっている。でも、求めているものと違う。そんな感じです。「Distance」も「DEEP REVER」も高度になっている(特にシングル曲を中心に)、でも、何か、詞も曲も大げさに肥大していって、それじゃあ、そういう方向に突き抜けているか、というと、何かそんな感じじゃなくて、結果として最後は既成の音楽の枠に収まってしまった、そんな印象。その一方で、アルバム曲はひたすら地味。「First Love」にあったような、スコーンとした解放感がなくて、2nd.も3rd.も辛気臭い。聴くのが何かの修行のように辛い。何回か聴けば慣れるかとも思いましたがまったく受け付けませんでした(「光」は大好きだけど)。
 そんな感じで、宇多田ヒカルに対する私の期待値はかなり低いものになり、三枚目までは購入していたアルバムも四枚目は買いませんでした。というよりも、既に宇多田ヒカルに対するアンテナが低くなっていて、発売されていることすら気づきませんでした。
 一般的に売れなかった理由はもっと明確で、魅力的なシングル曲がなかった、これに尽きるでしょう。
ネットで宇多田ヒカルの好きな曲のアンケートなどをいろいろと調べてみると、上位はほとんど1stから3rd.に収録されていて、「ULTRA BLUE」はせいぜい「COLORS」がランクインしている程度。しかもこの「COLORS」はアルバム発売の約3年前の曲で、既に旬を過ぎてしまっています。何故そんな昔のシングルが、という理由は、3rd.の発売が四年前の2002年、ということにあります。全米デビューだとか、空白の四年間だとか云々と。
 結論として、私のようにそれまでのシングルに不満を持っていた派にも、それまでのシングルが好きだった派にもそっぽを向かれてしまった、そんな感じでしょうか。

 さて、ということで、やっと、このアルバムに対する私の感想です。
 いやあ、良かった。聴いて良かった。全十三曲中、シングルが六曲(ネット配信のみのシングルを含む)。シングル率が高いのは、とにかくシングルは全部アルバムに入れる、という宇多田の信念と四年間の空白。一曲がインストなので、実質半分がシングル。それでも、シングルとアルバム曲のバランスがとても良い感じ。シングルが多いとどうしてもアルバム曲が負けてしまうけれど、両者がとても馴染んでいます。似たような曲調、ということではなく、アルバムトータルとして、シングルにもアルバム曲にもきちんと役割分担がされています、と断言してしまいましょうか、潔く。
 アルバムは大きく分けて三部構成、と考えることができると思われます。
 第一部は「This Is Love」「Keep Tryin'」「BLUE」「日曜の朝」 の四曲。
 この流れが、とにかく神憑ってます。一〜三曲目までのたたみかけるようなサビ。これでもかこれでもかとサビが続くのに、飽きない。寧ろ、その中にどんどん溶けていくような感覚。
派手派手なのに、不満だった肥大した感じがない。一曲目「This Is Love」で先ずはいきなりガツンとごあいさつ。その余韻を残しつつ「Keep Tryin'」。この曲のメロディーの流れがとてもいいです。きらきらと派手目なアレンジなのに浮遊感があってふわふわしていて。
後半、変な感じで、ギャグのように歌詞が壊れていきます。あきらかにメロディーとミスマッチなのに、それが不快というより、寧ろ心地よい。このあたりの雰囲気は次のアルバム「HEART STATION」に引き継がれているような気がします(これはこれで私としては非常に微妙なアルバムなのですが)。
 そしてアルバムのタイトルともいうべき「BLUE」。二曲目のたたみかけるような終わり方を引き継いで、間髪いれずに始まります。明らかに曲と曲とのスペースが意識的に詰められています。
派手なアレンジ、でもしっとりとした始まり。歌詞はまさに宇多田ヒカル等身大の「青年の主張」。サビはもの凄いハイトーンがもの凄い勢いで延々と続く。きっと、ライブでは歌えないんではないだろうか、というくらいに、まともに歌ったら、窒息死状態ですね。生きてて良かった。
そして四曲目「日曜の朝」。これも間髪入れずに始まります。ここで少しクールダウン。三曲目と同じく等身大ですが、こちらは非常に現実的な歌詞で、かつアンニュイ。ここで一部は終了。
 そして第二部、「Making Love」「誰かの願いが叶うころ」「COLORS」「One Night Magic feat.Yamada Masashi」の四曲。先ずは「日曜の朝」に引き続いて現実的な歌詞の「Making Love」から始まり(曲としての盛り上がりに欠けるところ、途中にお囃子のようなものが入って面白い展開になってます)、天才宇多田ヒカル本領発揮のキリキリとするような歌詞と声「誰かの願いが叶うころ」で徐々に高まり、空に向かって突き抜けていくような「COLORS」を山場として、最後にデュエット「One Night Magic feat.Yamada Masashi」のノリノリで終了。
 そして最後の第三部、「海路」「WINGS」「Be My Last」「Eclipse 」「Passion」の五曲。 この第三部はシングル曲の暗黒時代。「Be My Last」「Passion」がシングル曲ですが、売れませんでした。さっぱりでした。宇多田ヒカルが持っていたシングル売上の連続記録がこのあたりでぷっつりと切れました。シングルだと言われなければ気づかないほどに、華がない。でも「Be My Last」はとても切実なものがあって、「地味な曲」では済ませられないとても重要な曲。また、「Passion」については、シングル曲としては疑問符がつくものの、アルバムの中に入ると実に秀逸で、また、最後という位置取りもいいです。
 暗闇の中を航行するような「海路」から始まって、第一部や第二部で感じられた浮遊感や高揚感は息を潜め、ゆらゆらと揺れながら、ゆっくりと空に沈んでいく雰囲気があります。「海路」から始まっていますが、沈んでいく場所は空です。絶対に。等身大の宇多田ヒカルを浮遊感や高揚感で作品として仕上げたのが第一部と第二部ならば、第三部は、心の暗部を言葉を振り絞って生々しく歌い上げている感じです。そしてラスト「Passion」が、やり切れない悲しみのような余韻を残しつつ、アルバムを締めます。
 そういえば、アルバムタイトルの「ULTRA BLUE」は三曲目「BLUE」から取ってますが、偶然なのか、狙ってのことなのか、このアルバムは「Passion」の最後『青空の下』の一言で終わります。
 五枚のオリジナルアルバムの中で、宇多田ヒカルが一番自分自身に肉薄しているアルバムだと思われます。それ故に、歌詞だけ読むと、私が嫌っていた辛気臭さという面では、一番辛気臭いアルバムになっているというのが、何とも皮肉な感じです。
その重い内容もあって、極端に賛否が分かれるアルバムです。私としては、良いアルバムだと思うんだけどな。「First Love」も好きですが、一生聴くならこっちだなあ、ということで、さらりと第六回を終わります。いえ、べつにねっとりとでもいいんですけどね。
 


散文(批評随筆小説等) W.K.第六回「宇多田ヒカル『ULTRA BLUE』〜青空に沈む」 Copyright たもつ 2011-09-26 19:37:47
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