にんげんのげんじつと未来
馬野ミキ

ぼくらは原始時代とか例えば雷を恐れて、んで
いけにえとかささげてたわけじゃないですか
でもいけにえとか関係ないですよね
別に神が怒っているわけじゃなくて
ただ雷が鳴っているわけですから。


で、こんなのって現代でも実は同じだと思うんですよね
この構図
被害妄想なわけですよね、彼ら
世界から被害がなくなるかどうかはまた別として
世界から被害妄想がなくなることは絶対ないとはいいきれませんよね。
被害妄想ってのは、その人の頭のなかで勝手に作られたわけですから、
で、それが現実化しているように、まぁ本人には見えるわけなんですけれど。

つまり自分の意識によって世界を形作っているってことに
もっと多くの人が気付いていくと
これは革命だと思います。
で、被害妄想じたいがなくなれば
たぶん多くの被害自体も今より少なくなっていくでしょうね必然的に。


戦争反対とか反ブッシュとか、ぼくあれって本質的でないなぁと思います。
時代の風潮に流されてそんなこと言ってる人ってのは
同じように時代の風潮に流されていざ日本がどこかと戦争はじまったら
実はまっさきにその現場にいたりするかも知れませんねえ。
本当の反抗というのは常に反抗の立場を示したり、
そういうグループに属していることじゃないと。


雷を恐れた時代から人間は
恐れから逃れることを前提に色々なものを作ってきたのだと思うんです。
孤独、
SEX、
死、
いつでもここから逃れることばかり人間は考えています。
その上に成り立つシステムや社会は悲惨ですよ
それが現代です
そっから希望が見出せないのはやっぱ当然ですよね
もうトウキョウモーターショウも新しいウォシュレットもプラズマテレビも実はぼくら
そんなに欲しくないんですよ
ただ新しいものがずっと見つからないでいる。


人類はどうも自分たちの自発性を行使していないように思います
現象に対する能動性を。
「まずはじめに言葉ありき」というのは神の世界についての創造のことだとぼくは思います
だからまず今詩人である人に僕が思うのは
現状の報告ではなく
新しいものを作っていこうよ!
ってことです。
語と語の組換えにはそういう力があると思うんです。


何かが証明されてからそれに従うとか行動するってのは
これつまり自己の可能性の否定から生まれているわけですか。
まぁ孤独への恐れであって
自分で自分の存在なんてどうでもいいって信じているわけですね。
自分でそうしておきながら「私なんていてもいなくてもいいんだ」なんてのは
ただのいじけですよ。
人間はもう本当に長いこといじけて、すねているんです。

キリストを見殺しにしたのは僕らなんです
ヒトラーの躍進を許したのも僕らです
僕らはキリストに憧れながらそれ以上に彼に嫉妬しています
体現のない理論はもう意味ないとこまで来てると思います
お花畑を作るのに、
リーダーやただ才能のある人の花だけが大きく咲いても意味がないと思います。



散文(批評随筆小説等) にんげんのげんじつと未来 Copyright 馬野ミキ 2004-11-20 02:41:58
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