いちにちのおわり
いとうゆうや

許せる、許せんっていうのはおこがましいからいつも怒ったあと死にたいくらいの絶望とダムの放流のような感情が竜巻になり、許せる許せんっていうのはやっぱり自分がヒステリックになってしまったからでてきた感情であって、僕自身が自己不確立でえらく悩んでたのもあって、一発射精したあとのあそこくらい過敏に、自己について刺さってしまうので、まるで事故だなと思うが、それは今思うのであって幾分か冷静になったからこそ言えることで、感情が稲妻のように光や音で落ちてる最中には考えつかない。
自己不確立ってなもんに悩まされたから、不幸ということもないが、こういうことがあると不幸なのかもしれんと勘ぐってしまい、悪循環の栄養にも血液にもならない廃棄物のストレスが身体を巡ってしまう。こういうことというのは、僕の自己に対しての不安定さであって、何かをやろうとして少なからずある自己を保とうとしているのだが、相手も人間、対人で僕も人生を歩み続けているから自己と自己が事故する。僕の自己は、いたって簡単で、僕の好きなものはいいと言ったシンプルで、もしかして大きく見たら自己なんてないのではないかと甚だ疑問に思えてしまうが、そこは過去におおいに悩んだこと、今は無視していきたいのだが、無視はできない。
肯定の言葉100より否定の言葉1の方が大なりになる数学を僕は知らず、否定されていきてきたような気がする。
僕はただ話してたいだけ、ただ一緒にいたいだけ、才能を間近に見ていたいだけという、簡単そうに見えて、実は宇宙で鬼を探すより困難なことを求めていた。
僕と話してて楽ならば、いいじゃないか、とシンプルに思考していたが、色恋には胸の高鳴りが必要、自分にはないものだから、一緒にはいられない話せない、と根拠の見えない理論が完成されて、裏切られたと思ってしまい、もう自己はいつの間にか消えているのであった。
僕は何がしたいのだろう、なんて思春期の中学生も答えをだしているであろう問いに悩み続け、話せば聞けず、いつの間にか聞くことになり、また僕の疑問は増え、山になりいつの間にか動かせなくなるほど、自己に根を張ってしまっていた。
僕の話も聞いて欲しかった。
ただの自己満足のように思えるが、これが一番重要であって、話しているのに聞かれていないのは自己を不安定にさせる一番の要因で、口を開けば女の話、男の話となれば、僕の口は閉ざされ封印、しかし聞いてしまうのが、優しさに見せかけた自己の確立で、頼られて初めて自分の価値を少なからず知るのであった。

ただ僕は昔に戻りたかった。無理なのはわかっている。

1日が終わる。


自由詩 いちにちのおわり Copyright いとうゆうや 2011-09-16 23:43:21
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